フェチ問題は思ったより根が深い

(※以下エ□注意)


アンダーグラウンド業界に身を置いてみて、あることに気が付いた。

「人の性的嗜好はトラウマ由来なんじゃないか?」
という説だ。


(※以下映画ネタバレ注意)
映画ザ・セルでは異常性癖を持つ連続殺人犯カールが、次々と女性を殺害したのち猟奇的な方法で死姦する。
例えば、大量の漂白剤で満たした浴槽に女性の遺体を浸して意図的にアルビノを制作する。陶器の人形のようになった遺体を台に乗せ、次に彼は自身の背中にあるコルセットピアスにチェーンを装着して吊り上がる(サスペンションと言う)。美しいアルビノと空中で対面した状態で○慰をするのだ。

突き詰めると、彼が“拗らせた“のは幼少期の虐待が原因なのだという。(ドール趣味を実父に馬鹿にされ暴力を振るわれていた)

このように誇張された設定は映画でありがちだと思うが、もう少し現実的な話をすると、皆がフェチを自覚するきっかけに共通しているのは「衝撃的な体験」だということだ。

思い当たる節はあるだろうか。

私はこれを検証する為にフェチの話題の都度、その人のバックボーンに視座を置き、興味を抱いたきっかけなどを聞いて回った。
シチュエーションのエ□から芸術性のエ□へ考え方が変化した体験談が多かったように思う。肉体への偏愛も聞いた。ここに書ける内容ではないが自分にも芸術性エ□へカチッとスイッチが切り替わる瞬間があった。



話を戻して。

じゃあ裏を返せば、
トラウマが無いやつは変わった嗜好を抱いてはイケない!そんなのはファッションだ!お飾り趣味だ!

・・・・・なのかというと、
個人的にはそう思わない。
正確に言うと、そうは思わなくなった。

在りかたに固執しすぎて、性的嗜好の多様性を否定するような真似はしたくない、それは野暮だと感じるようになったからだ。


件について、前記事・一人家元で紹介した大森さんからいただいたコメントを引用する。トラウマと若手フェティシストの関連性を相談した時のものだ。

>今はその体験がスマホとかで早い段階で、かつ「ソフィスティケートされた形」で簡単に見ることができてしまう、といことも影響してくるはずです。また、スマホで探せばコミュニティ的なものもすぐにネットで見つかるから、性癖の成就までに至るコストが、昔よりも遥かに安いわけです。
その結果、拗らせ方の『強弱』がハッキリと変わってきます。そう考えれば、例えば
『全くフェチを拗らせていない全身タイツが好きな人』
が出てきて当然なのですね。

>これからの時代を引っ張るのは「新しい人たち」です。少なくとも我々ジジイではありません。
ファッションでもいいのです。そこに「掟」だの「様式美」だのといった「家元の矜持」など必要ないのです。必要なのは「社会性」。


とのこと。
アングラだけでなく趣味や職業、現代アート、音楽など、様々な分野に当てはまることだが、情報社会で間口が広くなった代わりに全てにおいて社会性を求められる風潮がある。

私の実感としてあるのは、真面目な話でもネタとして消費しなければならない空気だったり、とっくに自我が形成されているであろう年齢でも認証欲求という名の社会性の垢が付いているように感じることだ。

知恵遅れは恥だと鞭を打たれている気分にはなるが、ネットでショーやイベントの情報を仕入れる恩恵を受けているし、実際頻繁に足を向けている。ありがたや。

そう考えると、なるほど若手フェティシストは今後こういった情報を駆使して自らの嗜好に味付けを施していくのかもしれない。
だからフェチの強弱に関わらず、無闇に批判したり、線引きをするのはやめる。



話題:フェチ



08/28 03:30
[フェティシズム]
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