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日本史(超簡易

鳩山一郎 1954〜1956

55年体制
保守合同(1955.11
日ソ共同宣言 1956 10北方領土変換失敗
ソ連ノ支持→国際連合加盟 1956 12

岸信介 1957〜1960
教育の勤務評定 1958
警察官職務執行法(警職法)強化失敗 1958
防衛力整備計画 1958〜1960

新安保条約(日本相互協力及び安全保証条約)に岸調印 1960 1
→米の日本防衛義務名文化
→アメリカの軍事行動は日本と事前協議

60年安保

安保闘争
安保改定阻止国民会議…社会党 共産党 全学連も参加

国会で大規模デモ 市民も参加
アイゼンハウア-大統領の訪日阻止

新安保条約成立
→自然成立
岸内閣総辞職 1960 7→池田勇人が首相に



池田内閣 1960〜1964寛容と忍耐
1960所得倍増→高度経済成長へ→1967達成



政経分離…中国と準政府間貿易協定
佐藤栄作 1964〜1972
日韓基本条約…韓国と国交回復
韓国を唯一の合法政府と認め経済支援を与える

ベトナム戦争 1965〜1973 沖縄最前線基地化→沖縄の祖国復帰運動激化
→佐藤は非核三原則(持たず作らず持ち込ませず)を主張し返還交渉の基本原則とする

小笠原諸島返還 19684沖縄返還協定 1971 6→沖縄は日本に復帰1972 (米軍基地は残る
佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞1974

国内
自民党(与党)
野党多党化
民主党…社会党から分離1960
公明党の結成1964

内閣ー

第4次吉田(1952-1953)第5次吉田(1953-1954)
GHQの指令は失効


社会運動の激化。

血のメーデー事件(1952.5)…皇居前で乱闘

破壊活動防止法の成立(1952.7)…公安調査庁が監視し暴力活動を取り締まる


アメリカの要望で防衛力強化。

警察予備隊→1952年に保安隊に改称
後、1954年にMSA協定(日米相互防衛援助協定)により自衛力増強義務が発生し海上警備隊と統合し自衛隊に

防衛庁も設置し、首相が最高司令官の文民統制(シビリアン=コントロール)

新警察法(1954)
国家地方警察と自治隊警察を廃止し警視庁(国家警察)が指揮する都道府県警察に一本化

…後で編集、追加

案外時間余裕無いから先を覚えて来ます

整理整理w

「雪どけ」
1959年
スターリン死去…フルシチョフが後を継ぐ。→スターリン批判と平和共存
フルシチョフ訪米→アイゼンハウア、大統領と会議

「世界の多極化」
1967年
EC(ヨーロッパ共同体)の成立…EEC(ヨーロッパ経同体)から発展

西ヨーロッパの経済統合
フランス(ド=ゴール大統領)…独自外交でアメリカとは距離を置く

西ドイツ「奇跡の経済復興」&日本「高度経済成長」でアメリカを脅かす事に。

中国の毛沢東のフルシチョフ批判→中ソ論争
文化大革命(1966-1976)…中国は大混乱



「第三世界」の台頭(米ソのどちらにも組しない

A.A会議→バンドン会議 (1955)
平和五原則…周恩来(中国)・ネルー(インド)が提唱
AA諸国が参加…平和十原則を採択(写し間違いだろうか←)


1960年「アフリカの年」→アフリカ諸国の独立


ベトナム
インドシナ休戦協定(1954)でフランスはインドシナから撤退
ベトナムが北緯17度で分断
北→ベトナム民主共和国…社会主義国
アメリカの軍事介入によって北爆を受ける

南→ベトナム共和国
アメリカの支援を受ける

南ベトナム解放戦線と北ベトナムの抗戦…泥沼化

んーお風呂でも勉強しようか←


安保条約の改定と安保闘争
(1)岸内閣(1957-1960)→岸信介が首相に
@革新勢力との対決
(a)教員の勤務評定(1958)…日教祖の反発
(b)警察官職務執行法(警職法)の強化…失敗(1958)
(c)防衛力整備計画(1958-1960)…自衛隊の近代化
A新安保条約(日本相互協力及び安全保証条約)→岸内閣が調印(1960年1月)
(a)アメリカの日本防衛義務の明文化
(b)アメリカの軍事行動…日本と事前協議 ※革新勢力は批准に反対→安保闘争
(2)60年安保
@岸内閣
(a)衆議院で強行採決…警官隊を投入
(b)革新勢力は闘争を激化…批准阻止をめざす
A安保闘争
(a)安保改定阻止国民会議…社会党・共産党・全学連も参加
(b)国会で大規模デモ…市民も参加
(c)アイゼンハウアー大統領の訪日…阻止
B新安保条約の成立
(a)自然成立(1960年6月)
(b)岸内閣は総辞職(1960年7月)…池田勇人が首相に
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