画像はレア風のチーズケーキ。
珈琲とともに、どうぞ。
さて。
今回、このお話を書こうかどうか、非常に迷ったのですが、書くことにいたしました。
このお話は、私がブログを始めて、ある時期に書こうとして、やっぱりやめて、でもずっと心にとどめていたものです。
ブログを始めて、今回が千回目の記事。
書いてみようと思います。
ことば、言霊。
私は、実際に自分の口から出たことばについて、ほんと、回りに影響を与えるものなんだな、と思ってまして。
これは、当たり前のことではありますが。人の意思の伝達手段は、一般的に言葉、声、文字、顔つき、ゼスチャー、態度、行為くらいしかないわけで。
その中で、ことばはほんと、主要なものだから当然のことなのです。
先日、興味深いことがありました。
胸の手術の準備のため、東京のとあるホテルに宿泊し、部屋を出た際のこと。小さな話。
チェックアウト時間のため、部屋を出ると他にも部屋を出る人がいて。
廊下には、部屋を片付ける年配の女性がいらっしゃって。
私の前に部屋を出た男性が、その女性の横を通る際、女性は「ありがとうございました」とおっしゃって。
で、男性は無言でエレベーターの方に行ったのですが。
そのあとで、私も廊下を歩いてその女性のところで、やはり女性から「ありがとうございました」と声をかけられたのですが。
私は「おつかれさまです。たいへんですね。ありがとうございました。」と返しました。
そしたらその年配の女性は、「いえいえ。ありがとうございます。道中お気をつけて。」と笑顔で返してくださったのです。
私は、その年配の女性から、切り火で魔除けをしてもらったように、すがすがしい気持ちになり、宿を後にしました。
その後、タクシーに乗り、とある場所を目指したのですが。
タクシーに乗ってもドラマなど生まれません。
お互い気を使って、無言でタクシーは目的地に向かって行きます。
私も、心の中で妙な話、「ここから一転しておもしろい会話とかが始まると、それはまさにドラマだよね。ありっこないけど。」と思ってました。
で、タクシーは目的地あたりで目的地を見つけられず、私もその辺の地理には疎く、タクシーの運転手さんに「このあたりのどの方向でしたか」と尋ねられ、私は「いやー、すみません、私も田舎、○○から来たもので、あんまりよくわからないんですよ」と答えたのです。
そしたらその運転手さん、「あっ、じつは私も○○出身でして。雪はどうですか。実家のおふくろが病気でしてね、・・・」とおもいっきり話が広がっていったのです。
それはもうまさに、ドラマのような話でした。
タクシーの運転手さんも、私に最善を尽くしてくださり、目的地に気持ちよく到着し、ほんといい珈琲を飲むことができました。
その後、あるスーパーで買い物をしてレジを出た際に、あるお客さんが、数時間前になくしたスマホを、店の人から受け取り、喜んでいるところに出くわしました。
私も、その方の喜びようにうれしくなり、その方に、「スマホですか。よかったですね。」とついことばをかけてしまいました。
そしたらその方、「そうなんですよ、ごみを捨てる際、ふくろごとスマホも捨ててしまって、、、」と話が続き、そしてお互いに幸せな気持ちでわかれていったのでした。
ほんの小さなことばでも、それをきっかけに芽が出て、花が咲いたように広がっていく。
気持ちよい、相手に添うことばって、大切なんだな、と思った出来事でした。
で。
ことばには、もしかしたら言霊みたいなものが宿るのではないかと、じつは私が子どものころ、思った出来事がありまして。
ここだけの話にして、皆さんの心の中だけにしまっておいていただけますか。
じつは、私が子どものころ、小学校一、二年生のころだったのですが。
私の小学校の通学路は、三キロほどあり、海から山にのぼっていき、所によりうっそうとした樹木の茂った森を抜けたりする道なのですが。
で、その森に、今思えば私の妄想かとも思うのですが、その森の樹木の上、枝に、ある時期、うす明るい着物の、山伏みたいな昔風の形の人がどきどき立っているのを見ていたのです。
天狗といわれるような、そんな感じの形の人なのです。
でも、私は、こわい、とか妙だ、とかはぜんぜん思わなかった。
物心つく前から私の母方のおじいさんから、そうしたもの、方とかが存在することをずっと聞いておりましたから。信じておりましたから。
山とか海とかには、人智を超えた、霊的な何かが存在していると信じ、実際存在を感じておりましたから。
その、天狗みたいな形の人は、樹木の上に、人、としてではなく、モワッとした雰囲気として、存在して、どきどき私の目の中に入ってきておりました。
で。
小学一、二年生の私は、どきどき同級生の兄さん、二学年年上の人に、通学、帰宅の路でいじめられていたのです。
ほっぺをひっぱられたりつねられたり、背負ったランドセルを後ろからつかまれ、体重をかけて下に引っ張られ続けたり。
私は特に、ほっぺをひっぱられたり、顔を痛くされるのがいやでいやでたまらなかった。
ただ、やめてよ、やめてよとしか主張できなかった。
そんなある日。
私はまた、その同級生の兄にいろいろ痛いことをされて、泣かされて、その同級生の兄が私をいじめた後、私から離れて遠ざかる際に、私は泣きながら「もう、しんじゃえばいいのにーウワーン」とか叫んでしまったのです。
樹木の茂る路で一人になった私は、ただそこで泣き続けていました。
そのときも、天狗みたいな形をした人は、私のことを樹木の上からただ悲しそうにじーっと見ていました。
それから。
5日もしないうちに、同級生の兄は、私の同級生であるその弟と、その自宅でふざけっこをしていて、事故で間違ってなくなってしまったのです。
それを知った私はおどろき、ぼうぜんとし、それ以後、ことばには力があるから感情の赴くままのことばは封印しよう、と心から決めました。
それから、天狗の形をした人、雰囲気は私の前からいなくなりました。
私が見たい、と願っても、私の前に現れることはありませんでした。
ただ一度だけ、ある猛吹雪の時、私が一人で帰宅の路で疲れて、道端でちょっと休んでる際に、ついぼーっとして眠ってしまったときに、いつもの樹木のそばまで運んでくれたのが最後でした。
どこかとてもなつかしい温かさとにおいがあったのをおぼえています。
今回のお話はこれで終わります。
ことば、言霊。
この力をもったもの。
慈しみ、大事に使っていきたいと思っています。