2011-7-31 16:30
ある気妙な経験から仏門に入った友人が、この震災を期にまたつきあいが始まったんだ。
震災後の安否確認の連絡網から、消息不明だった友人、仮にAと連絡が付き、震災も落ち着いた頃に一緒に茶でも、と言う話になった。ま、坊さんに酒でも、と言うわけにもいかないからね。
そいつは、大学時代オカルト研に所属していて、別の友人の帰郷先の昔話をオカルト研の仲間と実践して酷い目にあって、紆余曲折の末今は僧侶見習いをしている。と言うかもうじき一人前になるらしい、なにをもって一人前か知らないが。
今はずいぶんと修行の成果があったのか、学生時分の浮ついたところがなくなり、落ち着いて昔話もできるようになった。Aも仏門を叩くことになったきっかけの事件からも不思議な体験を重ねたらしく、修行中出くわした出来事を話してくれた。
Aはお使いで関東のあるお寺に向かっていたのだが、何せ修行中の身、駅からかなり離れているそのお寺まで徒歩で向かっていた。
これも修行の一環らしい。
その途中、山を削って通っている線路の上の陸橋を渡ろうとした時、1人の老人が陸橋脇にしゃがみこんで、お地蔵さんに手を合わせていたそうだ。Aも見習いとはいえ坊さんの端くれ、その老人のわきで手を合わせたんだそうだ。
すると、その老人はAにむかって深々とお辞儀したあと、Aをじっと見つめるとこういったんだ。
「あんた、鬼と何か関わったことがあるね?」
Aはびっくりして老人に問い返すと、老人はこの地蔵の事を話し始めた。
「このお地蔵さんはな、鬼女を鎮めるためにあるからの」
老人の話だとこのあたりには昔、人を喰らう鬼女が住んでいたそうだ。
どこから流れ着いたのか、この山道(当時)通る村人や、旅人、子供をさらい、
時には色仕掛けで誘っては、むごたらしく殺しては喰らっていたそうだ。
もちろん、時の領主は討伐の兵を派遣したりもしたが、
鬼女の妖術の前には返り討ちに遭いなすすべも無く、
村人は時には何も知らない旅人をこの道、と言うか
坂に生け贄として向かわせたこともあったそうだ。
そんな鬼女におびえるある日、1人の旅の僧が村に訪れた。
僧は、はじめ村人に騙されて、鬼女のいる坂へと向かっていたが、
何やらただならぬ空気を感じ取り引き返して村人を問いつめた。
観念した村人は鬼女の話を僧にすると、僧はそれなら自分が何とかしようと言い、
日が良くないからと7日間の潔斎の後、鬼女の住む坂へと向かった。
その後、右腕を失った僧が村に帰ってくると村の長に、
坂に独鈷杵(どっこしょ)の刺さった石がある。それに鬼女を封じたが、
今まで罪のない旅人を犠牲にした村にも因縁がある。そこで、その因縁を断ち切るためにも、
腕を失った自分の代わりに手を合わせて鬼女を鎮めること、鬼女の庵があるので
そこで鬼女に食われたもの達の墓を六つつくり慰めることを指示して、
僧自身は腕を無くした自らの修行不足を恥じ、山へと帰っていった。
その後、六つの墓のあったあたりは六石塚、鬼女がいた坂はどっこ坂と呼ばれるようになった。
どっこ坂ではその後も村の人が鬼女を鎮めるために、旅の僧の指示通り、
村上げての念仏が行われていたが、それでもときどき鬼女の影が坂を彷徨くことがあったらしい。
そんな風習も今では失われて、地名も変わってその名前を覚えているのは年寄りだけだったらしい。
そんな失われた風習が今でも残っているにはそれなりの理由があった。
それは、この田舎にも鉄道がやってきた時に事件が起こった。
鉄道はどっこ坂のある小山を切り開いて通ることになり、
どっこ坂をまっぷたつにするように線路が通った。
地元の人間はどっこ坂の昔話を知っているので、
鉄道の工事には反対したらしいが、用地は県の所有だし、
どっこ坂の鬼女を封じた石は鉄道の方で移動して祀る事になったし、
結局は押し切られることになったらしい。
ところがここは、この路線でも予想外のずいぶんな難工事になってしまい、
工事中に何人か人死にも出たらしい。それは工事中の事故だけでなく、
自殺、変死もあったらしい。地元の人たちは言わんこっちゃない、と
鬼女の祟りがこっちに来ないように戦々恐々だったらしい。
それでも人の命の安かった時代、無理矢理にも鉄道は開通し、
どっこ坂はなくなり、その後人死にが出ることもなくなり、
人々はどっこ坂を忘れていった。
ところが、ここに一本の道路が通ったことでまた事件が起こり始める。
ちょうど線路によって分断されていた道が、整備されて陸橋が架けられた。
もとが旅人が通った道だけにルートとしては便利な道だったらしい。
ところが、道が開通してから不思議とそこで事故が多発する。
交通事故、自殺、変死、そんなことが半年に1,2度起こるようになった。
事故にあった人からは、女の影が〜という人も続出した。
そんな話が耳にはいるようになってから、この老人は、
ここがかつてのどっこ坂であり、女の影、というのが鬼女ではないかと考え、
ここにお地蔵さんを建立したのだという。
そして、伝えられた儀式に従い念仏を月に一度は唱えているという。
「だが、これを知っているのももう儂1人だ。因縁のある村の末としてここまでやってきたが、
もう、村人はちりぢりになって他の地に移り住んだし、余所から来たものはこんな話は聞いてくれん」
その後、どうなるか老人にも分からないが、
逆に因縁のあるものがいなくなれば鬼女もいなくなるのかもしれない。
2011-7-31 16:27
私と彼氏、彼氏の同僚のAとその彼女のB子と遊ぶことになったのですが、
何をしようって話になった時に、彼氏とAの趣味である、廃墟めぐりに
4人で行ってみようということになったんです。
といっても、幽霊は話を聞くのは好きでも見たくないし、
私とBは初めての廃墟ということで、変な来歴がなくてヤンキーもいない、
成り立ちのはっきりした廃墟を探して、行くことになりました。
そこは、Aの親戚が元々働いていたところで、
大きなガラス製品会社が、バブル前に建設したらしいです。
従業員のための福利厚生施設や寮、観光客?のためのガラス工芸体験コーナーがあったり、
かなり大きい建物のようですが、不景気のあおりを受けて会社が倒産、
稼働して半年もたたないうちに使われなくなったそうです。
その経営者もピンピンしているし、大きな事故が起こったこともない、
国道につながってはいるが、山のほうに奥まった場所にあるので、
暴走族のたまり場にもなっていないだろうということで、Aがあたりをつけてきたのでした。
当日朝7時に集合して、その時は曇っていましたが、山に近づくにつれ晴れてきて、
私たち四人はテンション高く彼氏の車でA出発しました。
廃墟までの道はアスファルト敷きの立派な道でしたが、タケノコのせいで割れて、
そこから草やツタが茂ったりして、車一台がやっと通れるだけの荒れようで、
Aは、こんなことともあろうかと思って、とか言って持ってきた草刈り機を見せたりしていました。
廃墟は思ったより山の中にありました。そのちょっと前にはお寺と畑がありましたが、
10分も走ると、古い自販機があるだけで、他になにもありません。
ぐるっと壁に囲まれて、大きな門の前は木のパレットでふさがれており、
周りに民家などもなく、明らかに誰かが気軽に立ち入れる雰囲気ではありませんでした。
なんとか門を乗り越えて、中に入ってみると、端のほうはともかく、中心の建物のほうは、
草木に浸食されている様子もなく、休みの日の校舎みたいな雰囲気でした。
近寄ってみてみると、建物のほうがだいぶ地面より高くなっていて中こそよく見えませんでしたが、
ガラスも全部残っていて、彼氏も「普段ならどっかが破れていて、そこから入ったりするけど、
こんなにきれいだと気が引けるな、とりあえず一周回ってみるか」と言い出し、
ぐるっとまわりを歩いて入れるところを探すことにしました。
ところが、元工場?の周りを歩いていたら、前方に人影が見えたのです。
最初のうちは、お化け!?とかなりドキドキしましたが、近づいてみると、
なんというか・・・ちょっと買い物に出かけましたみたいな普通の格好のおばさんで、
こっちを見て何かリアクションをするでもなく、お互い会釈して普通にすれ違いました。
その後も、ハーフパンツのおっさんとか、中年夫婦とか、子連れのママとか
スウェットキティサンのヤンキーっぽいおねえさんとかと次々とすれ違い、
みんなあまりにも普通なので、逆に長袖軍手のこちらが場違いに思えてきて、
Aに「ここって廃墟じゃないの?」と聞くと、Aも
「ずっと使ってないっていうのも俺の親戚の話だし、生きてる建物が普通にあるのかも・・・
とりあえずこの人たちがどこから来てるかだけ確かめよう」といい、
その後も色々な人とすれ違いつつ、その人たちが出てくる扉の前につきました。
他の工場っぽい扉と違い、そこは事務所みたいな感じでした。