小さい頃、とてもかわいがってもらって、大好きだった叔母が
ガンで亡くなった時、入院してる間、従兄弟達と交代で私も
叔母のつきそいを何度かやってて、叔母が意識がなくなって
昏睡状態に入ってからは、なぜか楽しかった思い出ばかりが
浮かんできて、叔母のそばで、従兄弟達と笑って話していました。
時折り来る看護婦さん達には、さぞかし不謹慎に見えた事でしょう。
でも、その時私達の気持ちは叔母を好きだという思いで一つだったんです。
通夜の晩は悲しかったけれど、お葬式が全部済んで叔母の遺品を
皆で片付けながら叔父や従兄弟達と話したのも、楽しかった思い出や
笑い話ばかりでした。その時は、なんだか叔母もその場に一緒にいて
笑ってるような感じがして仕方なかったんですが、後から従兄弟達に
聞いても、やはりずっと同じように感じていたそうで、すごく悲しいはずなのに
何とも言えない暖か〜い気持ちになっていたそうです。明るかった叔母が
楽しそうに話している私達の仲間に入って、一緒にその時間を楽しんで
くれているような気がしていたのです・・・・・ (勝手な思いこみかも知れませんけど)
だから、親しい人が危篤の時や葬儀の時に、なぜか明るい話しをしてしまう
という気持ち、なんとなく理解できます。

「こんな事やあんな事があったよね、バカだよねえ」
なんて亡くなった人のボケ話しや楽しかった思い出を
話して笑いながらいつのまにか涙も流してる、という感じ。
もしも自分が死んだなら自分の大切な人達が
そういう雰囲気で自分のことを語っている、
それが一番嬉しいかもしれない、と思う。

私の叔母の場合は、亡くなる数ヶ月前にガンで助からないという宣告を
受けていたので、皆で相談して「絶対に叔母に悲しい顔は見せない」と
誓ったのですが、今振り返ると、その時が一番辛かったのです。
あとは残り少ない日々を最大限に楽しく過ごさせてやりたいという思いで
必死だったんです。叔母が昏睡状態になった時でも、たとえ意識は無くても
きっと私達の話しを聞いている、とみんな思っていたので、亡くなるまで絶対に
悲しい話は聞かせたくない、という思いもあったんです。だからお通夜の晩は
それまでこらえていた思いが噴出すように、身内だけで思いきり泣きました。

はたから見れば、今にも息をひきとりそうな人を前にして笑っているなんて
すごく非常識に見えるかも知れませんが、家族はそういう思いで頑張っている
という場合もあるし、お葬式の最中でさえ、私達の事をすぐそばで見守っていると
感じていたりするものなので、見た目が明るかったとしても、簡単に不謹慎だと
決め付けない方がいい、という事は知っておいていただきたいです。

ちなみに。お坊さんから聞いた話です。
仏壇とか、法要などでお供えしますよね?故人の好きなものを、小さく盛って。
あれってなぜ小さく盛るかわかりますか?
実は、天国にいる故人には、お供えしたものは100倍の量になって届くんだそうです。
お酒が好きなら、お酒が100倍。メロンが好きなら、メロンが100コ(笑
「だから」
とお坊さんは続けました。

「一本の花でもたむけなさい。そして、小さくでもいい、手を合わせて偲びなさい。
 向こうは、あたり一面の花畑と、あなたの愛に包まれたところになってるんだから・・・」