12/08 01:43 玻璃の底(沙悟浄)



紺碧の「あを」が広がる。
流沙河の水のあをは俺が動く度に沙羅沙羅動いた。美しいあを。沈んだ骨の白が水面の向こうに見えた。このあをはあの日壊れた玻璃の底の色にも似ていた。深いあを。暗い夜闇。深い深い罪を表す様な、そういう色をしていた。
 ちゃぷん、足を動かせば揺れる水面。底で骨の塊が崩れた感触がした。
水面に己の顔を映して見やる。色が浅黒い。深い奈落の闇の色を灯した瞳。落ち窪んで恐ろしく見えた。

(嗚呼、俺は何時からこんなにも妖怪らしくなったのだろう)

 初めて人肉を喰ろうた日からか。それともこの流沙河に流れ着いた日か。それとも、それとも。

(玻璃の器を割ってしまった時だったのだろうか)

 ごろり、骨が転がる。積み重ねたしゃれこうべは積み上げた罪に等しい。
此処に落とされて最初の五百年は「如何して」と天を責めた。ただ壊してしまった物は戻せず、器は小さかった。
それからもう五百年は罪を人に転嫁して過ごした。最初こそ肌の色をしていた皮膚も返り血で洗っても洗っても拭えぬ血の色になった。俺はまた天を恨んだ。
それからまた五百年過ぎた。流沙河は妖怪の棲む河と恐れられ何人も近寄らなくなった。悲しむのにも、恨むのにも飽きた俺はただ呆けた様に過ごした。
 ある日、観音菩薩が俺の元にやってきて言った。

「悟浄よ、天に戻りたくはないですか」

 俺は答えた。「嗚呼、勿論戻りたいとも」と言ってはた、と気付いたのだ。この体は罪に汚れ天まで浮かぶことの叶わぬ身になっていることに。水面に映る俺は酷く醜い化け物であったのだ。
 観音菩薩は言った。

「罪の意味を考える事です。お前の犯した罪は最初こそ小さきものであったのに全てを恨んでその度に犯し続けた罪により化け物になってしまったのですよ」
「俺は、俺は醜い」
「恨む心は常に醜いものです」

 綺羅綺羅と輝く観音菩薩はこんなにも美しいのだ。それは真を知っているからか。罪を犯さなかったからか。

「如何すれば戻れる…?」

 俺は縋る様な心で、震える声で言った。

「これよりもう五百年先に法師がやって来る。その法師の従者となり天竺に向かうが良い」
「そうすれば払えるのか、罪から解放されるのか」
「さあ、それはお前次第ですよ。悟浄よ、今一度罪の意味を考えるのです。罪の意識に押し潰されるのではなく、天の者らしい行いをするのです。さすればお前の天への道は開かれる事でしょう」

 それだけ言うと観音菩薩はふわり浮く蓮の雲と共に光の中に吸い込まれ消えた。流沙河はまたしんとして静寂の牢獄に化したのだった。
 今の俺にただひとつ分かる事は全ては己の所為であり責は自分自身にあると言う事だけだった。

「最初に気付くべきであったのは」

どんなに小さくとも罪は罪であるという事だけだった。



(了)





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