12/14 02:49 雨縛鬼



 奇妙な屋敷と其処に棲まう住人の不可思議な話をする。
其の屋敷と住人たちを喩えて言うならばまるで雲の様に掴めない、霞の如く其の場所にある様で実体の存在が無い様な確かな現とは掛け離れた者たちだ。
その住人が棲まう屋敷は人間が暮らす日本とは一歩か二歩程ずれた場所に住んでいた。
現から路地を通り抜け、また右に曲がり少し歩いて更に左に曲がり・・・というように複雑に曲がって歩いて行くと屋敷がある公道に出る。
それはまるで平安の闇を練り歩いた百鬼夜行の通った道順を歩く様であった。

―――しと、しと、しと。
―――しと、しと、しと。
 雨が降っている。
その日は人間の棲まう現の世も雨であった。
現の世の天候は常世に構える時雨の屋敷も梅雨の影響を受ける。
人通りの多い公道を色んな色の傘をさした人たちが行きかっている。
その公道、つまりは人の世から一歩か二歩ほど外れた場所にある時雨の屋敷の庭もしとしと、とした雨の小さな雨粒が至る所に付着し、雨粒同士が一つの大きな雨粒に変わりつるりと地面へ落ちる。
―――ぽたり。
季節は梅雨になったばかりで、屋敷の庭にある紫陽花の葉の濃い緑の上で蝸牛がゆるりゆるり、と這っている。その這っている蝸牛の触覚が二度、三度揺れた。
 然し、普通の梅雨の雨とは違う。
確かに雨には違い無いのだが、通常雨というものは地球上で水が海から空、空から地上、そしてまた海へと循環する過程で起こる循環現象の一つと言われている。
普通、雨というものは外であれば全てを其の滴で濡らすものだが、この時雨の屋敷に降る今日の雨は一箇所づつしか降らない。一箇所で降り続け、また場所を変え降る。
 可笑しな性質を持っていた。


―――しと しと しと。
 黙々と雨を降らすのは時雨の式であった。式は子羊ほどの大きさで丁度大人の肩程の位置から屋敷の庭にある樹木や叢の花々に水をやるかの様な要領で雨を降らせている。
屋敷の外、常世の十文字辻も今日は雨だが屋敷の中は式が雨を降らせる為に余計な雨粒を避ける術が施してあった。

「雨縛鬼、稚児百合にも降れ」

 雨縛鬼、それがこの式神の名前であった。本当の名は分からない。昔時雨が人世の山の中で出会った時に「雨縛鬼」と呼んだ。それからこの式神はずっと雨縛鬼だった。
雨縛鬼自身も既に本当の名など覚えていないのかも知れない。出会って最初に相手の名前を口にする呪がある。相手に先に口にされるとその者は死ぬまで呼ばれた名で生きることになる術だ。
 時雨はそれを雨縛鬼にかけたのだ。
出遭った頃と何も変わらない静かな時雨の声が雨縛鬼に聞こえた。
雨縛鬼は応える様に雨雲の先をもくもく揺らし、先程まで滴を落としていた山紫陽花の上を離れ稚児百合の群生している場所へとゆっくり移動した。
 この人懐っこい性格の鬼は所謂雑鬼である。
姿も無く言葉を発することも無い。山の中で自然が何百年と生きるうちに自然に派生した気であり、九十九神の一種であるとも言える。
 小さな子羊程の大きさの雨雲が梅雨や雨の日に人の頭を好んで付き纏う。
其の他は大した悪戯もしない。まるで子犬が人に付き纏うかのような人畜無害の鬼である。
時雨はこの雨縛鬼が気に入っていた。彼女らの間柄は退魔師と妖怪の其れとは違った。まるで飼い犬とご主人様の様だった。
差し詰め、先程の雨降らしは犬で謂うところの 散歩の様なものだ。
 屋敷の叢の花々や樹木を一通り濡らし終えると雨縛鬼は時雨の元へ動く。存分に濡らして回ったので心なしか満足気に二、三度程雲を揺らしてみせた。
―――さわ さわ さわ。
 雨縛鬼に顔は無い為表情などは分からないが嬉しそうに揺れた。
時雨はゆるりとその赤い唇を緩めて何時もの張り付いたような笑みを作った。赤い唐花文錦の袖からゆっくりとした動きで滑らかな肌の指が二本、緩やかな弧を描き口元に触れた。そして呟くように呪を唱え、札にふうっと息を吹きかけた。
 何と唱えたかは聞き取れない。其れほど小さな小さな声だった。ただ時雨の薄い唇が呟くように動いただけである。勿論、雨縛鬼には聞こえる筈も無い。だが時雨の指の間に挟まれた札に雨縛鬼は渦巻きながら札の中に吸い込まれた。

「また雨の日に出してやろう」

 時雨はそう言うと札を懐に仕舞って、屋敷の縁にある柱から腰を上げ立ち上がる。
屋敷の外にも、現の世も空には晴れ間が広がっていた。時雨の屋敷の庭では雨縛鬼が落とした滴が花や樹木たちの葉の上できらきらと光っていた。
 時雨はそれを見渡すと一瞬愉しそうに笑んで何処かへと歩き出した。

 庭では虹の掛かった常世の空を兄妹狐がはしゃぎながら見ていた。



(了)





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