12/10 03:41 楽園追放*(河伯)



 流沙河には妖仙が出でては人の子を喰らうという噂があった。
河の色は紺碧の深い色をしている。浅瀬もあるのだが急にがくっと深くなる。その中深い深い河の底にいるのだという。河童であるという話もあった。龍の如き姿であるのだという話もあった。詰まりは誰もが見ており、然し誰もが真実の姿を知らないのであった。
 ごぽ、流沙河の水面に幾つかの泡が現れ、弾けた。
 流沙河の畔に少年が佇んでいた。齢十二、三の童だ。自我の強まる年頃の少年は流沙河の畔から深くなり色も濃くなった紺碧の水面を見つめていた。


「河伯、いるんだろ」


 少年が水面に向かい声を掛けた。
何度か泡が水面にごぽ、ごぽ、と立ちやがて紺碧の水面に藻の様な色をした髪が広がる。まるで人が水から上がる時の様に広がった。
水面を割ってその髪の持ち主が少し顔を覗かせる。鼻柱が少し出ている程の顔上半分を出した。瞳は黄色くそれが人のものでは無いことを物語っていた。
 少年は河伯の顔を見るとうれしそうに「やあ」と挨拶をした。


「河伯、明日狩りが河に入るよ」


 少年の声に河伯はただ無言で少年を見つめる。


「村の大人が明日河伯狩りをするって話してたんだ。逃げるんだ、河伯」
「俺はここから出ない」
「如何して!殺されちゃうよ、逃げないと…河なら他に幾らでもあるじゃあないか」


 河伯は顎まで水から出して少年に答える。少年は他の河へ逃げろと河伯に請うた。然し河伯は「出ない」と答える。出ない、のではない。出たくても出られないのだ。ここで待っている。ただ一人の法師が己をこの河から救ってくれる日をただ流沙河で待っていた。


「俺はここでしか生きられぬ。お前の親らが俺を殺すというならそれを受けるだけ」
「いやだ、河伯!そんな事言わないでくれよ」


 少年の涙が地に落ちるのを見ながら河伯は続けた。


「お前は人だ、人は人の群れで生きねば為らぬ。今は周りが異形に見え群れの中に入れないでいるのだろうがお前もやがては人として成長し、人として子を成し、人として死ぬ。それを受け入れろ」
「人は、…妖怪の中には入れないの?」


 少年は人の群れに入れぬ逸れた子供であった。内気で優しく美徳である部分を多く持つが村の子供の輪に入れなかった。そのまま育ってしまったので何時も孤独であった。
そして河伯もまた孤独であった。七日に一度の責め苦に耐え、ただ三蔵法師が救ってくれる日を待ち望みながら流砂河でじっと待っている。
 二人が共鳴したのも仕方の無いことである。然し河伯は妖怪で少年は人である。それらは似ている様で酷く異なっていた。だから何時かは離れなくてはならないのだ。河伯はそれがこの時だと確信していた。今人の群れに返れば人として暮らし人として死ねるだろう。然しこのまま自分と長くいれば少年も妖怪と決め付けられ人の群れには帰れなくなってしまうのだ。


「人は人の群れで生きるのが幸せだ。こちら側に深く干渉せず丁度良い間を置いて暮らすのが一番良いのだ」
「河伯、」
「もうここには来るな、お前は聡い子だ。意味は分かるだろう?」


「嗚呼。嗚呼、分かるよ、河伯」と少年は泣きながら流沙河の畔を去って行った。少年が見えなくなると河伯も紺碧の深い水の底へと潜って行った。それは三蔵法師は十回目に流沙河を訪れる参百年程昔の出来事である。
 河伯が水の底へと潜り、少年が去った流沙河はいつもと同じ紺碧の寂しそうな表情で揺れていた。


 

 

 

(了)

 

 





zerone Chien11



-エムブロ-