坂口安吾について。

何度も書いてはいるけれど、ぼかして語る事しかしなかったので。
高校の時以来の再熱した理由は文アル。杉田さんの声につられて。
キャラクターとしても好きだけど、本人に真っ先に触れた身としてそれはどうなのかと思っていたりする複雑な気分になってる。

安吾に出会ったのは、電子辞書に入ってた恋愛論を読んで、とは何度も書いてきている。朧げだが、恋愛論、という如何にもなタイトルに惹かれたか安吾という名に惹かれるかして読み始まったように思う。
私のHNはずっと「有吾」だ。元々はオリキャラ用に読みにくい名前を作ったのだが、それを気に入って使い続けている。こじつけで「吾れ有り」と意味を含ませてからますます好きな名前になった。そこから侑吾、宥吾、響吾など派生させた事もあるくらいに気に入っていたので、安吾、という名を見た時には驚いた。いやまあ先に安吾があるので私が無知だっただけなんだが。
それで坂口安吾という人間に興味を持って、恋愛論の内容はよくわからなかったが、とにかく情熱を持って書いているように思えて好きになった。私も文は書くし、ツイッターをやり始めてからは自分の論を押しつけるように書くことが私になったので、なんとなく似ている気がした。坂口安吾とは、有吾なのだ、と。
私は文豪というものが嫌いで、教科書や世間では傑作だ名作だ神の領域だともてはやされながらそれを書いた本人はどうなんだというギャップでどうもダメだった。太宰が最たる例で、走れメロスを書いた本人は友達を借金のカタにして逃げたみたいな檀一雄の逸話だったかで大嫌いになった。芥川の羅生門も嫌い、夏目のこころはまだ面白いかな、程度で学校で教えられた以上を読んだ記憶はなかった。その時代の作家が皆短命で薬を打って心中して自殺してっていうのもキツイ。
とにかく一生触れない世界なんだろうと思っていたのだが坂口安吾に触れて変わった。そうじゃない人間もいるんだ、と。短命ではあるが。
太宰は自尊心の塊みたいな、虚構と現実のギャップがより激しいところがある。安吾はそのギャップが、私の理解出来る範囲であった。
そりゃあ、書くならば自分をよく見せたいと思う欲は出る。だけど伝えたい事は伝えたい。その熱意が安吾からは感じられた。少し回りくどく自分や読者に言い訳するあたりが実に面白い。そしてそれが私(有吾)に似ていると感じさせた。

きっかけ終わり。
読んだ本についてはまたいつか。
近代文学についての太宰、織田作、安吾、平野の座談会が非常に面白いのでいつか書きたい。