ハヤトは苦笑を浮かべながらため息を付く。すごく気まずいです。

「はぁー」
「すみません。ワカナ、交代だ」
「ちこー」
「これくらいで勝った気になられちゃ困る。まだまだ、これからだぞ」

 放られたボールから、それぞれイーブイと無傷のポッポが現れる。
 ……シマッタ。イーブイ、ポッポに先手取れねぇ!
 ああでももう出しちまったし、チコリータに交代して死に出ししたところで結局は素早さが高い方が先手だし、チコリータはイーブイより足が遅いし、降参できないし……。
 大人しく負けて出直す、と言う選択肢もあるけど、せっかくここまで来て諦めるのも勺なわけで。なにか打開策はないもんかとステータスを確認する。と、イーブイのレベル上がってる事に気付いた。さっき、ピジョンを倒した事でレベルアップしたらしい。気づかなかった……。素早さもほんの少しだが上がっている。……ここはひとつ賭けてみるか!

「ポッポ、風起こし」
「じたばただ! 先手取って倒してくれー!」

 祈るように指示を出す。
 2匹は同時に動き出した。が、風起こしは射程圏が広めで遠くから当てる事のできる、いわゆる遠距離攻撃にあたる技だから、ポッポの方が先に攻撃体勢へ入る。ホバリングで羽ばたきを重ねる度に風が強くなる。吹き始めた風の中を懸命に走るイーブイが体を縮こめたと思うと、思い切りフィールドを蹴りつけて果敢に飛びかかっていった。
 正面からのしかかるように飛び付いてポッポを地面に引きずり落とす。背中から落ちたポッポに乗り上げて、イーブイが滅茶苦茶に手足を振り始めた。ばし、ばし、どすばし、と攻撃が当たる。ポッポのHPが削れて行く。

「ポッポ、振り払うんだ!」

 ハヤトの声に応えるようにポッポがもがいたが、激しい攻撃に抜け出る事が叶わない。イーブイの攻勢が弱くなったころ、小さな鳴き声が聞こえた。

「ぽ……」
「ぶぅいっ」

 反撃を警戒したらしく、攻撃が終わるやいなやすぐさま飛び退こうとしたイーブイだったが、足をもつれさせてよろめいてしまい、さほど距離はとれなかった。転倒こそしなかったが、瀕死間際のHPと全力での攻撃のせいか限界が近いようだ。
 お互い後はない。
 ポッポが震えながら体を起こそうとする。
 頼むから起きるな、イーブイもチコリータももう一撃だって耐えられないんだ。
 これが俺たちの全力なんだから、頼む。

 ちらりと横目で見たポケギアのHPバーは、瀕死を示す左に振れきっているようだ。が、たまーに1ドット分残ってる時がある。そしてそれはよくよく見ないとわからないものだ。
 しかし今はポケギアを悠長に眺めている余裕がない。負けるとしても最後まで戦況を見て足掻かなければ。目を逸らした間に決着がついてしまったら後悔する。
 ふらり、とポッポが立ち上がる。残っちまったか!?
 焦りが湧き上がった次の瞬間、ポッポはその場に座り込み、目を開けたままころりと転がった。

「……仕方ない、俺も大人しく地に降りよう」
「あ……やった、やった! モチヅキ偉いっ! 先手取った! 倒した! 偉いぞっ!」
「ぶいー」

 フィールドに駆け出して、膝を付いてイーブイを抱き締める。猫ほどしかない、こんなちっこい体で良く頑張ってくれたよ!

「お疲れ様、有り難うモチヅキ」

 背中や頭を撫でると、ぐるぐると喉を鳴らしたイーブイが首を伸ばして顔に鼻を押し当てて来た。顔を寄せると目を細め、頭や頬を顔中に擦り付けてくる。
 ベロベロ舐めてくるイーブイを片腕で抱いて、腰からもう一つのボールを放る。

「勝ったぞ、ワカナ、有り難うな!」
「ちこ……ちー」

 撫でるとチコリータは気持ちよさそうに目を細めて短い尾を振った。叩かれないのを良いことに抱き上げても、チコリータは大人しく腕に収まってくれた。
 しかしイーブイが舐める標的をチコリータに変えると、慌てて頭の葉を振り回して、べっちーん! と、俺を巻き込んでイーブイを思い切り叩いたのだった。

「だっ」
「ぶっ」
「モチヅキ、大丈夫か!?」
「ぶいー」

 俺の胸に頭を預けたイーブイは、尻尾を振って喉を鳴らした。
 はぁー、今の一撃で、まさかのバトル外瀕死になったかと思った。

「ち、ちこ」
「ぶーい」

 さすがに今のはマズいと思ったのか、チコリータは申し訳無さそうに頭の葉を寝かせてイーブイに向かって鳴いた。イーブイは目を細め、笑顔で穏やかに返事をする。

「モチヅキ、戻るか?」

 疲れてるだろうにイーブイは服に爪をたて首を伸ばし、俺の顎に頭を何度もすり付けた。
 そうだよな、嬉しいよな、頑張って勝ったんだ。今は一緒に喜ぼう。

「ほら、じゃれるのはその辺にして」

 俺たちの所まで歩み寄ったハヤトが、注意を促す言葉とは裏腹な朗らかな笑顔で、小さなケースを差し出す。立ち上がって見やれば、開かれたケースに納まるのは羽を象った小さなバッジ。

「さあ、ジムを突破した証だ。改めて受け取ってくれ。キキョウジムから君に贈るのは、ウイングバッジだ」
「今度こそ、遠慮なく。ワカナ」

 ハヤトが蓋を閉める。その小さな青いケースをワカナが蔓で受け取った。

「そのバッジがあれば人から貰ったポケモンでも、レベル20までなら言うことを聞くようになる。更に秘伝技の岩砕きが使えるようにもなるんだ。そして俺からはこの技マシンを贈ろう」

 51とナンバーが書かれた技マシンは8ミリCDの形をしていて、無料配布CDや付録CDなんかが入ってるような薄い布袋に入っていた。これ、どうやって使うんだろう。

「いいんですか?」
「何がだ?」
「いえ、これヒビキくんにもあげてますよね」
「そうだが……」

 ニヤリとハヤトが笑った。

「どうも対策を取られてると思えば、なるほど。あいつから俺の話を聞いて作戦を立ててきたんだな」
「あはは、そんな感じです」
「まったく新人らしくないトレーナーだな。駆け出しには手が届かない道具を用意したばかりか、使い方も良く知っていた。スクール生か?」
「いえ、ネットや本なんかで、独学です」
「感心だな」

 あ、やめて、心が痛い。攻略本やネットでゲーム攻略を学ぶように、学生の頃もっと学業に力入れとけば良かった、と我に返る事がある俺には耳も心も痛い話だ。

「さて、その技マシンは羽休めが入ってる。君は利点も弱点も解っているようだし、大いに役立ててくれよ」
「はい」

 使いどころを考えれば羽休めはかなり便利だ。後攻で技を出せば飛行タイプが消えて困る事もないしな。いつか飛行タイプ手に入れたら使いたいなあ。無理そうだったら売り払って旅費の足しにしよう。

「技マシンを使えば一瞬でポケモンに技を教える事ができる。ただし一度使いきりだから良く考えてな」
「はい。ところでこれはどうやって使うんです?」
「ああ、それはソフトだから、技マシン用のハードを買う必要がある。フレンドリィショップにあるから見に行くといい。それからこれは賞金だ」

 トレーナーカードをワカナに出して貰って通信する。トレーナーカードにも獲得したバッジのグラフィックが表示されるんだなー。
 賞金の方はと言えば、さっすがジムリーダー、1560円だなんて序盤じゃ破格の額だ!
 勝って安心したら、御守り小判があったら2倍貰えたのに、と欲が出た。そんなん持たせてバトルしてたら負けてたと思うけどさ。でもなあ、がめついとは思うが、トレーナーとして生活するなら賞金が生命線なんだからなりふり構ってらんねーのも現実だ。

「次はどの街へ行くんだ?」
「ヒワダに行こうと思ってます」
「そうか、頑張れよ」
「はい。ハヤトさん、病み上がりにも関わらず試合して下さって有り難うございました」

 両手が塞がってるから帽子は取れないが、軽く頭を下げる。ハヤトは何故か呆気にとられた様子だったが、破顔一笑、声を上げて笑い出した。

「ははははは、君には驚かされてばっかりだ。礼を言うのは俺の方だよ、そうだろ? 俺とキキョウシティは君に助けられた。バトルも楽しめた。有り難う」
「いえ、俺こそ沢山学ばせて貰いました。ところでハヤトさん、俺が街を助けたってどういう事なんです?」

 病室では俺が混乱しちゃって詳しく聞けず終いだったから、気になってたんだよな。別にファイヤーやロケット団を追い払ったワケでもなく、ただたんにハヤトを見つけただけの俺が街を助けた功労者なんて変な話だ。

「話してなかったか?」
「はい。俺はハヤトさんを見つけただけですよね」
「それだよ」

 え、どゆこと? ハヤトの命=キキョウシティぐらいの扱いなの? 王様なの? キキョウシティだと思ってたけどハヤト帝国なの? 住民は鳥ポケ所持が義務付けられてるの?

「君は関わってしまったから教えるが、口外はするなよ」
「はい」

 人の口に戸は建てられないと思うんだけど、先を知りたいから黙っとく。

「地下に潜っていたロケット団の残党が復活を企んでる。奴らはポケモントレーナーの集団だ。一定の訓練しか受けていない警察では抑えきれない事もある。だから今、ポケモンバトルのエキスパートであるジムの人間を失う訳にはいかなかった」

 いったん言葉を切ったハヤトは睨むように鋭い目をした。

「例えそれが、敗北した人間でもだ」

 俺を睨むと言うよりは、自分の不甲斐なさに憤っているらしい。そんなハヤトにかける言葉を俺は持たなかった。
 ――あの日、俺は初めて死を感じた。
 あんな事があっても日々は変わりなく慌ただしく過ぎてゆくけど、ふと空いた時間にあの出来事を思い出しては、徐々に降り積もった思いがある。
 俺は死にたくないし、他人を死なせたくもない。出来ればポケモンだって死なせたくない。
 生存本能があって平和な国に暮らしていれば、死に対して漠然とした忌避感があるのは当然だと思う。それがあの日、死が身近にあると思い知って明確な形を持ち始めた。
 あの敗北で、ハヤトも何か強い思いを抱いたんだろうか。

「……負けるのは、悔しいです。あんな奴らに、負けたくはない」

 やっと出た言葉はありきたりなものだったけれど、紛れもなく本心だった。
 負けは悔しい。死は怖い。当たり前の感情、それを上回る感情が芽生えた。暴力に恐怖を感じるしか出来なかった自分の無力さが、あんな奴らに負けた、自分の取るに足りなさが一番悔しかった。

「ああ、俺も同じ思いだ。だがリョウ、無理はするな」
「したくても出来ませんよ」

 現実問題、ロケット団は毒・悪タイプのポケモンを多く保有している。更に言うならば毒は飛行や虫との複合タイプだったり、悪は炎や氷との複合タイプがいる。アタッカーとして育て始めたチコリータでは相性が悪いのだ。かと言ってイーブイをアタッカーにするには問題が多いと今さっき痛感した(攻撃・素早さのどちらも足りないだろう)。今の俺では太刀打ち出来ない。
 相手は悪の組織だ。ハヤトみたいにバトルを楽しむ事も、ジムリみたいにチャレンジャーを育てるつもりもない。バトルはただのつぶし合いになるだろう。
 そんな相手に無謀な真似は、俺には出来ない。

「君はもちろん、俺もまだまだ強くなる。次は負けない」
「――そうですね」

 強気に笑って自信あり気に言うハヤトに俺も笑い返した。
 ロケット団の凶悪さを考えれば根拠のない自信だと思うのに、その向上心と前向きさに元気付けられた。次がいつになるかわからないけど、俺も出来るだけの準備はしておこう。


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