暖かな春の日差しを浴びながら、膝の上の温もりを撫でる。リラックスした様子でくるくると喉を鳴らすのはイーブイ。こいつにはこの1ヶ月の間ずいぶん助けられた。

「お前、今日ものんきな顔してんな〜。今日でお別れなのわかってんのか?」

 自分の独り言で、ニート生活みたいなグータラした生活だったのに怒涛と過ぎ去った、子供になってからの1ヶ月が蘇った。





 フスベシティとワカバタウンを繋ぐ45番道路、その辺りを囲む山でポケモンレンジャーのお姉さんに助けられた俺は、その日の内にヨシノシティの森にある精神病棟に収容された。
 確かに「昨日まで心身ともに25才(男性)社会人だったのに気付いたら10代の少年になって半裸で倒れていた」なんて妄言を吐く奴には相応しい処置だろう。俺もそんなこと言う奴に会ったら笑顔で黄色い救急車呼ぶわ。

 だけど俺にはそれが現実であり、この入院さえも夢だと思った。
 次に目覚めたらいつも通り出社して、同僚兼ポケモン仲間に変な夢見たって話してお仕舞い。そう思ってたのに、目覚めても目覚めても、何度朝を迎えても病院の白いベッドの上。検温にやってくる看護師さんはハピナスやラッキーを連れている。そんな日が一週間ほど続き、俺はようやくポケモンの世界に迷い込んだと言う現実を受け入れた。しかし病院側は、妄言を繰り返す身寄りも住民票もない正体不明の俺にお手上げ状態。
 そりゃそうだ、異世界から来ました、なんていくら伝説ポケモンがインフレ起してるポケモンの世界でもありあえない。

 それでも不幸中の幸いと言っていいのか、診察の結果症状は軽いと判断してくれたらしく、通院とGPS監視を条件に退院を許されたのが一週間前。そして明日にはここを旅立つ予定だ。

 なんて、今でこそただの事実としてこの現実を受け止められているけれど、子供の姿になって異世界に迷い込んでしまったと気付いた時はかなり不安定になっていた。それこそ精神科にお世話になるような精神状態だ。
 そんな俺に主治医は病名はおろかろくな状況説明もせず、ただ「休むように」と言った。患者に余計なストレスを与えない様に配慮したらしいが、それこそが俺にはストレスだった。判断力も記憶力も自分では問題ないと思うのに、他人には精神病者として扱われる。昨日までの日常は全て妄想だったと否定される。それで不安にならない訳がない。

 日に日に顔色も食欲も失くして行く俺を救ってくれたのは、イーブイとポケモンセラピストの先生だった。
 最初は一日一緒に過ごしてみないかとイーブイを預けられた。人に慣れているイーブイは大人しく腕に納まったけど、こちらはどうしたらいいのか解らない。当のイーブイは一切動じる事無く、戸惑う俺の腕からするりと抜け出した。預けられた以上放っておく事は出来ない。けれど抱き上げ直そうとする俺の手をすり抜けて、イーブイはマイペースにも院内を散策した。
 不眠と食欲不振に加え軽い運動までこなし疲れ果てた俺は、中庭の木陰で力尽きてしまった。
 座り込む俺を置いて消えたイーブイを探す気力も無くしてうなだれていると、件のイーブイがペットボトルをくわえて戻ってきた。その気遣いに不覚にも涙を零してしまった俺などお構いなしに、イーブイはボトルを置くと俺の膝へ乗り上げ、のんきにも昼寝を始めた。
 すやすや幸せそうに眠るイーブイに乗っかられて動けなくなった俺は、暖かい日差しと膝の温もりに助けられて3日ぶりに眠ることができた。
 夕方、イーブイを迎えに来たセラピスト先生に報告とお礼を告げると、そのままイーブイを預けてくれただけでなく、翌日からは「気晴らしに」とたわいない話をしに訪れてくれるようになった。

 後で聞いた話だが俺の主治医は、問題のある人物なのにコネがあるから辞めさせられない、つまりヤブ医者だったらしい。
災難だったね、と悪戯っぽく笑うセラピスト先生の尽力で主治医は変わり、気が滅入る診察や事情聴取ものんきなイーブイと過ごす時間が癒やしてくれた。

 なぜか首筋にバーコードらしき入れ墨が発見されたり、俺が倒れていた山に悪の組織の秘密基地(荒らされ済み)があったことが判明したり、そこから子供が逃げ出した形跡があったり、明らかに逃亡した子供は俺! という証拠が上がり、俺は悪の組織に捕まった子供で余りに辛い過去から記憶を捏造し逃げ出した可哀想な子、というで落ち着いた。
 落ち着いた、と言うのは結局事実がわからなかったからだ。記憶捏造にしては俺の記憶はしっかりしすぎているし、精神も至ってまともらしい。
 俺のポケモン知識はゲームからだからちょっと現実味に欠けるものの(ポケモンの食事とか睡眠とか、生命維持行為についての知識がなかった)バトルの相性や育成方法、技や繁殖方法などの知識に間違いはない。対人関係にしても礼儀正しく常識的で、判断力も正常と御墨付きを頂いた。

 となると、戸籍がないとは言え正常な子供を病院に閉じ込めておけない。そういうワケで3つの選択肢を与えられた。
里親の子供になるか、レンジャーになるか、トレーナーになるかだ。

 俺は迷わずトレーナーを選んだ。
 どの選択肢も戸籍の作成と最低限の生命維持の保証、移動の制限は共通している。トレーナーの場合は輪をかけて制約が多く、行動範囲はジョウト地方に限定、GPS機器の装着、定期的な検査の受診、電話での定期報告、レンジャーや警察に協力を惜しまないなど条件をつけられた。
 けれど25才にもなって里子はお断りだし、見知らぬ土地でポケモンだけでなく自然を守るとかそんなターザン的根性はない。それにせっかく人生をやり直すなら、子供の頃憧れたものになりたかった。

 という訳で明後日、俺は新人トレーナーとしてワカバタウンから旅立つことになっている。そのために明日の朝、ここから去る。
 当然そんな事情をイーブイが知る訳もなく、ただ明後日にはお別れなんだとは告げてある。告げてあるけどイーブイはいつも通りのんきな様子で、散歩と昼寝を楽しみリラックスしきっている。





 うりゃ、と首のふさふさに指を突っ込んでかいてやる。心地良さそうに目を閉じて身を預ける人懐っこいイーブイを、セラピスト先生はベテランだと言っていたから、別れにも慣れているのかも知れない。

「お前にとっちゃ俺なんて所詮その他大勢に過ぎないのね……!」

 ううっ、と口元を押さえて1人芝居してみるものの、イーブイは撫で続ける右手に夢中で見向きもしない。

「なんだよー、付き合えよー」

 ひょいと抱き上げて目線を合わせるが、もっと撫でれとばかりにその丸い頭で頬をぐりぐりされた。
 寂しいのは本心だったが、このイーブイを見てるとなんだか安心できる。何年たってもこいつはここにいて、変わらない気がする。目まぐるしく俺の全てが変わって行ったこの一月、こいつは全く変わらなかったみたいに、のんびりマイペースに生きて行くんだろう。きっと診察に来る度に会えるはずだ、別れを悲しむ事はない。
 その考えは、身寄りのない俺にとって暖かい感情を感じさせてくれた。寄りどころって大事だよな。
 穏やかな風に乗って四時を知らせる明るい音楽が届いた。そろそろ明日の準備をしなくちゃいけない時間だ。

「言われるまでもないだろうけど、元気でやれよ」

 感謝を込めて撫でながら俺は立ち上がり歩き出した。


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長いプロローグを読んで下さって有り難う&お疲れ様でございました。