ハヤトの意識が回復したと連絡を受けて、俺は病院に向かった。話したい事があるそうだ。なんだろう、改めて事情聴取だったり、お説教かなぁ……。めんどい。
 院内の特定エリアはポケモンの連れ歩きが禁止されている。俺は1人廊下を進み、名札のない部屋の前で足を止めた。聞いていた部屋番号だ。スライドドアを軽くノックする。

「ご連絡頂いたリョウです」

 あ、しまった、子供らしくない口調だったかな。

「鍵は開いているよ。どうぞ」

 若いながら落ち着いた声に入室を勧められる。少しの緊張と共に入室すると、素っ気無い甚平姿でベットの上に座っているハヤトと、お弟子さんらしき青年が一人だけ居た。甚平は多分備品。まさか自前ではないだろう。

「失礼します。お加減は如何ですか?」
「だいぶいいよ。初めまして、俺はキキョウジムのジムリーダー、ハヤトだ。助けてくれて有り難う」

 ハヤトは病室にあっても精彩を欠かない溌剌とした笑顔で、弟子(仮)は控えめな笑顔と会釈で迎えてくれた。

「初めまして、新人トレーナーのリョウです。お口に合うかわかりませんが、どうぞ。――少しでも手助けできたなら良かったです」
「聞いてた通り礼儀正しい子だね。そう硬くならないで、座ってくれ」

 芸がないとは思いつつも、手土産のクッキー詰め合わせを渡す。受け取った弟子は、準備していたらしい急須と菓子箱を持って病室を出て行った。

「では、失礼して。敬語はどうかお気になさらず」
「そうかい」

 苦笑されても態度を崩すことは出来ない。入院患者ではあるが相手はジムリーダーとしてそこに居るはずだ。トレーナーとしての大先輩は年齢関係なく敬うのが当然だろう。

「君は大丈夫だったかい?」
「はい。ハヤトさん、お話と言うのは?」

 病み上がりの人に負担をかけたくない。とはいえ性急に話を促したのは事実だ。その事にだろう、少し目を丸くしたものの、ハヤトは気を悪くする風もなく切り出した。

「こんな格好で悪いが、君にこれを渡そうと思ってね」

 俺の死角からケースを取り出して中身を見せてくれる。それは昨夜ヒビキが見せてくれた物とまったく同じ、翼を象ったウィングバッジだった。

「あの、ジム戦してませんけど」
「なにもジム戦だけがジムバッジを得る道じゃない。街への功労者に送られる場合もあるんだよ」
「街への功労って、俺、ハヤトさんを見つけただけですよ」

 キキョウシティへは来たばかりだし、何かしたとしたらそれくらいだ。もっと言わせてもらえば大半は気絶していたワケで、とても功労者とは言えまい。
 俺が受け取らないと感じたのか、ハヤトは苦笑してバッジを引っ込める。

「不思議そうな顔だね。君は知らないだろうが、俺もピジョットもキキョウシティも君に救われたんだよ」
「はい?」
「今から説明しよう。聞いてくれるね?」

 是非とも納得のいく説明をしてほしい、と頷けばハヤトは話し出した。

「まずはロケット団の狙いから話そう。あいつらはカントーの伝説のポケモン、ファイヤーを狙っていた。知ってるかい? あのファイヤーは春を告げる渡り鳥なんだ」

 あー、どのバージョンかは忘れたけど、図鑑に春を告げる鳥だと書かれていたな。てっきり冬ごもりでもして春に顔出すのかと思っていたけど、渡り鳥なのか。カントーの伝説ポケモンなのにカントーにずっと居るんじゃないんだな。

「春になると南から北へ海を渡り、カントーへ行く。その通り道にキキョウシティがあって、あの森で最後の休憩を取ると、後はシロガネ山まで一気に飛んで行くんだ。あの森に着く頃には、いかに伝説ポケモンと言えど長旅の疲労が溜まっている。ロケット団はそこを狙って違法な捕獲を企んだ」

 へええ、なんか以外だな。HGSSのロケット団って悪事がマイルドと言うか、幹部からしてヤドンの尻尾を切り取るだけの仕事してたり(生きたままって言や残酷だけど、ヤドンは痛覚が鈍いし、しっぽはまた生えてくる事を思えばそう残虐でもないだろう)、行方不明のボスに迷子案内を出すためにラジオ局乗っ取りしかしてない。
 3年前にガラガラ乱獲して殺しまくってた組織とは思えないくらい小さな悪事なんだよなー。

「ただあのファイヤーは、今は野生だけど、一時期人間と共に居てね。とても強いんだ。レベルは70を越えてる」
「70越え? 野生で!?」

 ひええ、野生でそれって。ギラティナとかレックウザとか、ゲームで最高レベルを誇る伝説ポケモンより上じゃねえか!
 ノックの音に話を一時中断する。弟子が戻って来た。

「どうぞ」
「有り難うございます」

 菓子皿をサイドテーブルに置き、湯飲みを渡してくれた弟子は窓際のイスに戻る。今更だけどチョコとクッキーと湯飲みって。お土産の選択誤ったか。

「続きだ。あの時、一度は捕まってしまったファイヤーをなんとか解放できた。そのまま逃げてくれたから助かったけど、正直なところ危険な賭だったんだ。怒り任せに暴れられては、森に囲まれている上に木造住宅の多いキキョウシティは、あっと言う間に炎に囲まれていただろう」

 顔が引きつった。なにそれ怖い。ファイヤーさんてそんな強いの? 実はガメラなの?

「ハヤトさんはもしもの時を考慮して、町に俺たちジムトレーナーを残して行かれました。ポケモンレンジャーのお二方だけを連れてファイヤーの捕獲阻止に向かったのです」

 昨日会ったポケモンレンジャーのお姉さんたちと協力したんですね、わかります。

「けれど途中で分断されてしまってね。情けない話だが、ファイヤーを逃がしたところで力尽きてしまった」

 はぁ、なんか大変だったんだな。

「あの、いくつか疑問があるんですけど」
「なんだい?」
「立ち入り禁止は誰が指示したんですか?」
「指示したのは俺だけど、その前からロケット団が封鎖していたね」
「どんな風に立ち入り禁止を知らせたんですか?」
「街中はスピーカーで放送を入れて、道路は警察が見回って、俺たちも確認しながら進んだ」

 ゴロウと電話した時からずっと引っかかっていたんだけど、俺は全然立ち入り禁止になったことに気付いてなかった。おまけに封鎖だって? どうして俺はなにも知らなかったんだ?

「俺がロケット団員に会ったのは森に入ってからです。道路を歩いていても封鎖してるロケット団員には会いませんでした」
「それは……」

 ハヤトはお弟子さんを見たが、お弟子さんは首を振った。

「キキョウでもヨシノでも、警察の方はロケット団と接触していません。ロケット団の見張りと思われる姿が視認出来る街道へ近付いて、周りに人が居ないのを確認して街へ戻られたそうです」
「俺が封鎖していたロケット団に会ったのは、獣道に入るずっと手前だ。そこから獣道まで蹴散らして、ヨシノ側に潜んでるだろう奴らはレンジャーの1人に任せた」

 んー、じゃあ、ハヤトとレンジャーの急襲にロケット団は対応してて、さらにレンジャーの1人がヨシノ側を殲滅したから、俺は運良く会わなかったって事なのかな。タイミングが良すぎるような……って待てよ?

「ハヤトさん、その時、野生のポケモンって出現してましたか?」
「いや、途中からぱったり出なくなったな」
「俺も暗闇の洞窟まで、1時間くらい遭遇しませんでした」

 ハヤトが顔をしかめた。

「途中で休憩は?」
「してません」

 弟子改めジムトレーナーが立ち上がり、ベッドサイドの棚を漁った。そしてベッドに紙のタウンマップを広げる。
 覗き込むとそれがキキョウ・ヨシノ間の詳しい地図だとわかる。赤い×印を中心に道へはみ出るような青い円が広がり、更に4色の矢印があちこちに引いてある。矢印は所々で黒い×印とぶつかっていた。

「赤い×印はファイヤーがいた場所、黒い×印はロケット団と交戦になった場所、青い円は一時的にポケモンが全く出現しなくなった区域、並びに通信機器が使えなかった範囲。4色の矢印は俺たちがそれぞれ辿ったルートだ」

 矢印の横に、雑だけど名前の頭文字が書いてある。赤(ヒ)青(ハ)黄色(カ)の3本はキキョウから伸びる31番道路を通り、暗闇の洞窟のしばらく手前で黄色が別れ、ヨシノ側の森や草むらで交戦している。獣道に入った後に赤が別れて、黒い×印を引きつけるように森を転々としていく。
 ファイヤーの元に辿り着いているのは青と白の2色だ。白は俺だろう。(リ)と書いてあるし、白い矢印はヨシノから30番道路を通り、獣道の途中で黒い×と交錯し、そこに(敗)と書かれている。手持ちが全滅して、首絞められた場所だな。
 時間が書き込まれていないのでよくわからないが、俺の通ったルートにもかなり黒い×がある。ついでに黄色の矢印と一部交わっていた。
 すべてを回避ってすごくないか。

「この青い範囲は正確だと聞いている。君が青い範囲に入ってから暗闇の洞窟までは、子供の足でも30分ほどだ」
「いや、青い範囲の前からポケモンに会ってないはずです」

 最後に対戦したのは短パン小僧のアキラで、ヤツはヨシノの近くにいた。
 自分の記憶を頼りに、ゲームでのマップと目の前の地図を摺り合わせる。

「ここに緑ボングリの木がある民家がありませんか?」
「ああ、あるな」
「じゃあこの突き当たりがポケモン爺さんの家」
「そうだ」
「ここら辺にトレーナーがたむろしていて」
「ああ」
「ここに段差が、ヨシノから数えて……3つめ」
「ああ。一度しか通っていないのに、よく覚えているな」

 笑って誤魔化す。実際はゲームで何度も通ってるし、見下ろす俯瞰視点に慣れているから正確に当てられるんだけど、そんなことを言ったら俺まで入院になるだろう。無論ここではなく、ヨシノの精神科に。

「この3つめの段差のところでトレーナーと戦って、それからエンカウント無しです」
「自転車を持ってるのかい?」
「? いいえ」

 こんな序盤で持ってるわけがない。自転車は4つめのジムバッジがあるコガネシティでしか入手出来ない。ランニングシューズ様々だな。

「ここから、ここまで」

 ハヤトが短パン小僧のアキラが居た場所から暗闇の洞窟を指差す。

「歩きなら3時間ほどかかる」
「……え?」

 どくんと心臓が嫌な風に跳ねた。ハヤトと顔を見合わせるが、その目にふざけた色はない。
 本当に? 本当に言ってるのか? 俺の記憶がおかしいのかよ?

「時間を勘違いしたんじゃないか?」
「そんな、朝、ヨシノを出て……」

 必死に記憶を辿る。
 7時半ぐらいにポケセンを出て、ゴロウやアキラとバトルして雑談して、ポケギアは9時くらいだった。で、歩いて暗闇の洞窟の手前の草むらで、10時くらいだったんだよな。ファイヤーを見たのは、10時過ぎくらいだろう。それから森に入って、気絶させられて、ハヤトを見つけて病院に連絡しようとしたのが、15時。

「大丈夫か? 真っ青だが」
「……ええっと……」

 大丈夫なわけない。心臓がうるさくて仕方なかった。ああ、でも確かめないわけにはいかない。

「ファイヤーが逃げた時刻、わかりますか」
「はい、街から観察されたので。14時3分にカントーの方へ飛び立ちました」

 ……4時間もずれてる……。

「おい、リョウ。本当に大丈夫なのか?」

 まずいまずいまずい、なにこれ、記憶の混濁? 病院に戻らなきゃ行けないのか?

「リョウ?」
「……俺、記憶がおかしいみたいです」

 混乱しながらも4時間のずれを話す。隠しておける事じゃない。だってすでに事情聴取で俺は全て話してしまっているし、ゴロウやアキラに聞けば、俺が2人の前を通った時間はすぐにわかる。

「……この、青い範囲に君が時間を確認したと思われる草むらがある」

 俺が話し終えるとハヤトは少し考え込んでから切り出した。俺は話す気力をすっかり無くして、微かな吐き気を感じながら話に耳を傾ける。

「ポケギアの時計は電波時計だ。通信機器が使えなかったのだから、電波時計も阻害されて狂っていた可能性がある」
「……本当に?」
「ああ。だからそんな顔をするな」

 身を乗り出したハヤトが俺の肩を励ますように叩いた。

「警察の見回りにも偶然見落とされただけだろう」

 慰められてる。すげー慰められてる。ハヤトの顔には子供を慰める笑顔が浮かんでいた。
 非難勧告が出ていて、警察が見回りをしていて、偶然人を見落としたなんて不祥事になるんじゃないか? もしくは俺が侵入したってことで咎められるとか。なんにせよ、あの時あの場所に居た事も、俺の記憶も可笑しい。俺、なんでこんな事になってんだろう……。

「そんなに青ざめなくていい。君は正常だ」

 なんの確証もない慰めだと知っていても、その言葉にどうしようもなく安堵を覚えた。俺は、正常、だよな?


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