今回は少々暴力的な描写があります。


* * * * *






 冗談めかしつつも簡潔にお断りしてやったのに、結局諦めたのは俺だった。あんだけ拒まれたのによくやるよ。根性は認めるさ。でもなあ。

「人生ってままならないなぁ」

 早速の着信履歴(もちろん無視した)に溜め息をつくと、イーブイが気にすんなよとでも言うように鳴いた。うん、気持ち切り替えてこうか。かけ直し? するわきゃねー。

 只今30番道路突破中。なんだけど、ゴロウを叩きのめした張本人のアキラを下してから、人にもポケモンにも会っていない。虫除けスプレーしたっけ? ってくらい見事にエンカウントなしだ。
 レベル上げは次の街の近くでと考えていたから、あまりエンカウントし過ぎないようにゆったりと歩いて草むらを突っ切っていた。けれどもうすぐ31番道路(ここを越えればキキョウシティ)だってのにレベルは一切上がっていない。さすがに1時間エンカウント無しなんて、時間の無駄使いな気がする。
 昨日までだったら有り難かったけど、今はイーブイもいるからな。経験値入らない方が痛い。
 いっちょ走ってみるか。ランニングシューズで走り回ると音を聞きつけてポケモンやトレーナーが寄ってくる。とは虫取り少年が別れ際に教えてくれた話だ。

「ちょっと走ってみるか。モチヅキ、追いかけっこしようぜ」
「ぶいー」

 示し合わせたように同時に飛び出す。病院に居た頃は走りながらフリスビー投げたり、鬼ごっこして遊んだっけ。しかし病院に居た頃とは違い、今の俺にはランニングシューズがある。
 思いっきり走ってから振り返れば、かなり後方で慌ててスピードを上げるイーブイが見えた。

 がさがさと草むらを踏みしめる音とは別に、ランニングシューズの低い駆動音が聞こえる。走り出すと加重の具合を関知して内臓されたモーターが回りだし、草むらもでこぼこ道もスケートリンクみたいにすいすい滑走できるようになる。つっても小石とかそれなりの障害物があると躓くんだけどな。そのあたりは自分で回避しなきゃいけない。
 しばらく走ってから速度を落とすと、イーブイは息一つ乱さず横に並んできた。やりおる。

「元気だなあ。疲れないか?」
「ぶーい」

 元気な返事にじゃあもう一走り、と言い終わる前にイーブイがフライングで駆け出した。って早っ! もうすぐ曲がり角だ、見失っちゃ敵わない。そう思って駆け出したんだけど、イーブイは暗闇の洞窟の前で足を止めて中を覗き込んでいた。

「なんか居たか?」

 目を凝らしても真っ暗で何も見えない。イーブイは何か感じてるんだろうか。
 あ、居たって言えばこの洞窟前に人が居るはずなんだよな。フラッシュあれば中を探索してやるのにって言ってるやつ。居ないってことは中に入れたのか、諦めたのか。

「本当に真っ暗だな。こりゃ中へは入らない方がいいだろ」
「ぶいー」

 ゲームなら小さなダンジョンだ、フラッシュ無しでも探索できる。けど、ここはワカバタウンからヨシノシティまで3時間はかかるような世界だ。洞窟の規模だって推して知るべしってもんだろう。
 不意にどぉんとどこからか爆発するような音が聞こえて、突然のことに肩が跳ねてしまった。慌てて見回すが異変はない。空耳でないのはイーブイの警戒した様子が物語っていた。視線と長い耳は森の奥へと向かっている。

「あっちなのか?」
「ぶいっ」

 そうだ、ポケモン。この世界にはポケモンがいるんだ。俺の常識で言うなら爆発音イコール事故か事件だけど、ただのバトルかもしれないんだよな。

「見に行こう。ん? どうした?」

 イーブイは耳をぴくりとそよがせて空を見上げる。イーブイの視線に釣られて森の上空を見上げると、赤く巨大な炎の玉が空中ではぜる所だった。映画くらいでしか見ないような巨大な火炎に思わず目を奪われる。
 弾けた炎の中から現れたのは、炎の翼を持つ巨大な鳥。シロガネ山に居るはずの伝説の火炎ポケモン、ファイヤー。
 クリーム色のはずの体が、炎を照り返して赤みを帯びた淡い金に輝く。翼や尾の付け根から端へ炎が薄くたなびくほど、鮮紅から橙へグラデーションして美しく揺らめいている。
 その燃え盛る翼が力強く羽ばたくたび、羽毛が降るように小さな灯火のような炎が舞う。それは地面に触れることなく、青い空にすうっと溶けて消えてゆく。
 そしてファイヤー自身も吸い込まれるように、あっという間に蒼穹の彼方へ消えて行った。赤と橙と青の鮮烈なコントラストを残して。
 ただただぽかんと見上げていた俺は、図鑑の説明文に"見とれるほど美しい"と書かれていたことにいたく納得した。図鑑では目つきの悪い鳥って印象だったけど、実物は全然違う。ありゃー釘付けにもなるわ。思わず感嘆のため息も洩れるってもんだ。

「はぁー。こんなとこでお目にかかるとはなあ」
「ぶーい?」
「あれはカントーの伝説のポケモン、ファイヤーだよ。ジョウトとカントーのジムバッジを16個集めてやっと行ける洞窟に居るはずなんだ。今見れてラッキーだったな」

 寿命伸びたかもな、と笑いかけたが、イーブイはファイヤーが飛び出して来た方を見やって、それきりじっと固まってしまう。その様子は何かを警戒しているようだった。
 まだなんかあるのかと身構えるが、特に変わったようには……いや、そーいや1時間以上エンカウントしてないんだよな。おかしいって言やおかしいような……でもなー、ゲームでもエンカウントしない時は本当にしないしなー。

「行ってみるか?」

 無言のまま見上げてくるイーブイを、なぁ、と促して走り出す。
 実は一つの期待に心を踊らせていた。ホウオウの居た場所からは聖なる灰、ギラティナの居た場所からは白金玉が拾える。ならばファイヤーの飛び去った跡からも、なんか拾えるかもしれない。
 即物的とは言うなかれ。それにどちらかと言えばポケモンの神秘的な部分に触れられるかもしれないことに心を踊らせていたのだ。例えば遺跡を探検するような、化石を発掘しに行くような、そんなわくわくとした気持ち。昔から世界の不思議図鑑とか大好きだったが、いくつになってもこの手のものに俺は弱いんだ。

 31番道路を森に沿って走る。無闇に立ち入って迷わないよう、奥に続く道を探すためだ。
 程なくして細い獣道を見つけた。うん、ここからなら迷わずに入れそうだ。
 入ろうとするとイーブイが前に出て、長い耳で様子を伺いながら俺を先導してくれた。下生えが踏みつけられて少しだけ歩きやすくなっている道を辿る内に遠くでどん! という衝突音が聞こえるようになっていた。明らかに争ってる音だ。
 森の中でもバトルってするんだなぁ。当たり前か、野生のポケモンが暮らしてるんだから。

「どうした?」
「ぶいっ」

 突然足を止めたイーブイは、振り返ると小声で鳴いた。

「なにかいるんだな?」

 静かな首肯に俺も頷き返すと、またイーブイは走り出した。音はまだ遠いけど、警戒を促すような何かがあるらしい。
 進むにつれて異臭が鼻腔をつくようになった。たぶんこれは何かが焦げる臭いだ。ファイヤーさんてばレッツファイヤーしちゃったの? 森の中で? 火の気を見つけたら即通報だな。
 及び腰の俺などお構いなくイーブイは走る。人間よりずっと鋭い感覚をもつポケモンが平気そうなんだ、たぶん大丈夫なんだろう。
 やがて木々の合間に人影が見えてきた。ちらりと見えた黒ずくめの人影に嫌な予感がする。その予感は直ぐに当たった。こちらへ歩いてくる男は胸にでかでかとRの文字を掲げていた。こんなとこでロケット団かよ。ファイヤーといいロケット団といい、ずいぶんと早いおでましだな。

「モチヅキ、なるべく接近しろ!」

 立ち止まって出した指示は反射的なものだった。獣道は一本道だから相手には気付かれているし、道の先に進みたい気持ちもある。だから今はまだ逃走しない。
 しかしイーブイの攻撃手段は接近して使う物理技だけだ。だから相手がどんなポケモンで来ようと、距離を詰めておいた方がいいと思ったのだ。
 しかしロケット団はゴルバットを繰り出してきた。ということは最低でもレベル22以上、力でも速さでもかなわない。なーんでこんな序盤からゴルバットとか出してくんだよ! 馬鹿か!

「こらえる!」

 早くも逃げ出したい気持ちに駆られていたが、最初の指示が裏目に出ていた。いまさら反転したところで後ろから攻撃されるだけだろう。

「ゴルバット、かみついてやれ」

 ずぶりと牙がイーブイの体に突き立てられる。ひええ、電光石火とかよりずっと痛そう! イーブイは、ぐぅ、と小さく呻きながらも耐えてくれたが、正直なところ後がない。
 どうする、いっそトレーナーにリアルファイト仕掛けるか?

「もう一度だ!」
「堪えてくれ!」

 俺が指示を出した時には、もうゴルバットは迫っていた。イーブイは技を出す前にもう一度噛みつかれる。俺が迷った一瞬で勝敗は決まった。いくら技の優先度が高くても指示が遅れれば意味がないんだ。倒れたイーブイをボールに戻して、でもチコリータを出すのは躊躇してしまう。無駄に傷付けるくらいなら降参した方がいいんじゃないか?

「もう終わりか? 煩わしいガキめ」

 素早く伸びてきた大きな手に首を掴まれ、咄嗟に外そうと首元へ手をやる。しかし引き剥がそうにも指をかける隙間がない。
 怯むことを期待して蹴ろうと思えば押し倒され、そのまま首を締め付けられた。腹の辺りに圧し掛かられて起き上がることは出来ない。男の顔を引っかいて怯ませるべく手を……伸ばせても力が入らなかった。それをきっかけに自分の体の異常に気付く。まずい、全身あっと言う間に力が入らなくなってきた……。

「ちこっ!」
「かみつく」
「ぎっ」

 いつの間にかボールから飛び出していたチコリータが、視界の端で男に向かって体当たりしようとした。けれどゴルバットに噛みつかれ、ぶんっとそのまま振り回されてしまい、聞いたことのないような悲鳴を上げて茂みの中へ消えた。
 助けに行きたいのに首から手が外れない。視界が白く染まって意識が遠退く。
 死ぬのか? こんな終わりは、いやだ……。


次話 寄り道の結果
前話 交流は強制的に