ヤマブキからセキエイに移転されたポケモンリーグ本部、社員食堂。昼時を過ぎて人のまばらな一角に、五匹のポケモンに囲まれた青年が陣取っていた。彼の名前はカンジュ。この春からポケモンリーグで四天王の一人を務める予定のポケモントレーナーだ。
 瑞々しい見た目通り実年齢も若く、先月十八歳になったばかり。容姿は至って普通で、特徴と言えば明るいオレンジの瞳と遊び心をもってセットされた短めの癖っ毛ぐらいの、どこにでも居る若者だ。しかし食事を取る姿勢は正しく、箸を運ぶ手も丁寧で育ちの良さが伺える。そんな態度が、彼を実年齢より上に見せていた。
 周りのポケモンも行儀の良いことに鳴き声ひとつ上げもせず、良く躾けられているのだろうと思わせた。非常に落ち着いた雰囲気で、彼らの昼食は粛々と進む。
 そんな喧騒とは程遠い空間に、扉が開かれた音は良く通った。ちらりと視線を向けた彼の視界に、同じ年頃の青年の姿が映る。

 入ってきたのは、逆だった赤い髪にマント姿が特徴的な青年。彼の青年を、ドラゴン使いのワタルを知らぬ者などこのリーグにはいない。なにせ珍しいドラゴンタイプを三匹も従え、並み居るトレーナーを倒し、若干十八歳で堂々と四天王のリーダーの座に着いたのだ。 今をときめくトレーナーは誰かと聞かれれば、大多数が一番に彼の名前を上げるだろう。

 肩で風を切るようにして颯爽と歩く彼は、近寄り難(がた)い雰囲気を纏(まと)っていた。話せば気さくな人物なのだが、堂々と自信に満ちた歩き方は威圧感を感じさせ、ついでに目尻のつり上がった三白眼は睨みつけているように見えてしまう。
 一匹のカイリューを連れた彼は大所帯で食事を取っている青年を見つけ、快活な笑顔を見せて軽く手をあげた。すると雰囲気がガラリと変わった。もう爽やかな好青年にしか見えなくなる。
 そんな彼にカンジュは控えめに微笑み、やはり控えめに手を上げて応えた。
 元気がないとも取れる様子に、ワタルは一瞬だけ観察するような視線を送った。が、立ち止まることなく食堂の一番奥へ向う。設置されている電子レンジへ辿り着くと、片手にぶら下げていたビニール袋から取り出した二段重ねの弁当を温め始めた。

 それを目で追っていた青年は箸を置き、紙ナプキンで口元を拭いながら口の中のものを飲み込む。そして弁当を温め終えたワタルが振り返った瞬間、いきなりバッと両手をあげ満面の笑みで両手をブンブンと音がしそうなほど振り回し始めた。唐突かつ子供っぽい彼の様子にワタルは苦笑いを浮かべ、カイリューと共にカンジュの元へ向った。
「やめろよ、下らないのに笑っちゃうだろう」
「よっしゃ、俺のしょーり!!」
 友人への悪戯の成功を喜んでニカッと笑えば、彼の雰囲気は非常に砕けたものになり、年相応……むしろ幼く見えた。悪戯しようという発想もだが、なによりそれを実行する無邪気さが幼さを醸(かも)し出している。

 仲間の昼食の準備のために立ったままのワタルに、カンジュは不思議そうにしながら尋ねた。
「ワタル、今日は修行だろ? 帰って来るの早くない?」
「ああ、用事があって戻ってきた。カンジュはシロガネ山から戻ったところか?」
「いや、今日は俺が当番だから」
 現在、四天王は一人が内勤、他は外勤となっている。つまり本日はカンジュが、リーグ本部の建物内でお偉いさんの奔放な来襲に備える任務に就いてた。
「そうか、お疲れさん」首を回して食堂のカウンター上に設置されている大きな時計で現時刻を確認する。間違いなく十四時半を回っている。
「内勤にしては昼食が遅いな。何かあったのか?」
「あー……えへへ〜」
 カンジュは間延びした声をあげて、明るいオレンジの瞳を泳がせた。緊張感の欠片もない様子に心配ないと察したワタルは、ふっと笑いを漏らし、昼食を取るべく己の仲間をモンスターボールから出し始めた。

「今日暇でさ、折角(せっかく)だから勉強してたんだけど、気づいたら寝てたんだよねー……」
「そんなことだろうと思った。反応だけでわかったよ」
「けへっ」
「ぶっ……君の行動はいつも唐突だな。大体なんだい、その奇声は」
「え、ワタル知らないの? 10年くらい前にやってた、とっとこ走る子供向けのアニメだよ」
「とっとこ走る? なんだそりゃ」
「本気か。俺と同学年だろ、CMくらいは見たことあるんじゃないの?」
「さて、ウチはあまりテレビを見なかったからなあ」
「マジか。ワタルんちって厳しいのか?」
「そうだね。ニュース以外はあまり見れなかったな」
「ふへえ、本当に厳格だなあ」
「そういう君も。食事を取る姿が随分(ずいぶん)と上品だったが?」
「ウチは普通だよ。神社の方がね、食事中は喋んないの」
「神社?」
「修行させて貰ってたんだよ」
「なるほど。それで霊が視えるようになったのかい?」
「逆、逆。元々霊を視る子供だったから神社に預けられたの。霊と普通の人の区別が付かなかったから修行に出されたのさ〜。何もないとこに話しかける人がいたら、見えない人は困っちゃうでしょ?」
「君、今もたまに何もないところ見つめているじゃないか」
「え、そうかな……やばい、自覚なかった」
「そのようだね」

 ワタルは雑談を交わしながら仲間へ食事を配り、自分も席に着いて弁当を広げた。彼らの頂きますを合図に、カンジュもすっかり止まっていた手を再び動かし出す。食堂の職員が用意してくれた同じ内容の弁当を、二人揃って静かにつついた。二人と十一匹という大所帯とは思えないほど、場は静まり返っている。
 BGMはテレビが垂れ流しているワイドショーと、それにかき消されて内容まではわからない社員たちの会話だけだった。
 先に食べていたカンジュたちが食事を終え、ポケモンたちは自分が使った食器を食器かごへ入れた。ポケモンたちは満腹でご満悦そうに、席やカンジュの膝に陣取って思い思いにくつろぎ出す。
 弛緩した雰囲気の中、そのニュースは耳に飛び込んできた。

「続いてはこちら。巷(ちまた)を連日騒がせている凶悪犯。行方不明者に忍び寄る魔の手!?」
 ゴーストのユカリを構っていたカンジュが、テレビへ視線を移す。司会者が概要を話し終えたところで、ちらりとワタルへ視線をやった。それに気づいたワタルは口の中のものを飲み込んでから口を開く。
「あまり、気分が良いものではないな」
「食事時にはねえ。番組選べたらいいんだけどなー」
「ああ」
 ワタルが箸を口に運び沈黙が落ちると、自然とテレビからの音が耳に入る。その内容は、ここ連日、聞かない日はないニュースだった。

 つい先日のことだ、捜索願の出されていた行方不明者の一人が、殺害されていたのが発覚した。新人ポケモントレーナーの、僅か十一歳の少女だ。すでに犯人は逮捕されているものの、余罪の疑いがあって目下警察が総力を挙げて捜査中だ。
 日々進展を見せる事件を、ニュースは特集を組んで連日連夜、喧伝するように報道した。
 被害者の少女が書いた学校の作文、将来の夢や希望、初めてのポケモンを大事にしながら旅立ったと涙する遺族。犯人の非道さを浮き彫りにする情報たちに、理不尽に命を絶たれた彼女の恐怖と絶望を思い、大半の視聴者が心を痛めた。
 そこへ追い討ちをかけたのが、徐々(じょじょ)に判明してきた犯人の情報だった。彼は残虐と理不尽を極めていた。
 彼の殺人者は少女を食べていたのだ。
 動機は、目に付いたから。たったそれだけの理由で何の罪のない少女の命が奪われ、死してなお尊厳を奪われ続けた。
 そしてそのような非道を行った犯人は、精神障害で心神喪失状態にあり、従来の司法ではたいした刑罰に問えないと言う。

 カンジュは最初にこの報道を見たとき、事の大きさに言葉を失ってただ見つめるしかできなかった。今でも報道を見かける度に気が重くなる。まだ幼いと言っていいほどの、未来ある若い命が奪われた、それが心痛を生む。アナウンサーが告げる淡々としたあらましだけでも、目を逸らしたくなるほどだ。
 国民を、特に子供を持つ親を震撼(しんかん)させたこの事件が話題に登らぬ日はない。どう決着しても、この事件が及ぼす影響は大きいだろう。

(この事件は報道すべきことだって、報道は事の重大さを知らしめるためにも必要なことだって分かる。けど、食事時に聞きたい話じゃないな……)
 事件に付いて考えを巡らせるのは大事なことだが、これほど悲痛な事件を受け入れるには心の準備が必要だ、とカンジュは思っていた。この悲惨な事件について、食事ついでに思いを巡らせられる人間がどれだけ存在しているのだろうか。
(痛ましく思うけど、食欲が失せるのも困る。何事も体が資本なんだからさ……せめて食堂くらいは、大半の人が退屈してもいいから時代劇でも流してくれないかな)
 冷静なのか思考の逃避なのか。冷たいとも取れる感想を内心でぼやきながら、テレビから目を離せないでいた。
「……カンジュ」
「……ん?」
「凄く険しい顔になってるぞ」
「うん……ごめん、食事は楽しく取りたいよね、なんか話そうか」
「賛成だ」
 気をそらそうと気遣ってくれたワタルに控えめな笑みを返して、カンジュは今日一日が如何(いか)に暇だったかを話した。
 四天王の出番はリーグが一般に開放されてからなのだが、正式な稼働前の今も誰か一人は本部周辺に居なくてはいけない決まりになっている。正しくは、連絡が取れてすぐ駆けつけられる距離に居ればいいのだが、携帯もポケギアも今はまだ本部から離れると電波状況が不安定なので、結局のところはリーグ本部に詰めているしかなかった。

 やがて、お喋りを交えながらの食事は終わった。食後の茶を淹れながらふと途切れた会話の合間に、ワイドショーがまだ先ほどの事件を掘り下げているのが聞こえてくる。
 それを耳にしながら、ワタルは言い難(にく)そうに切り出した。
「……カンジュ、すまないんだが、君の話を聞きたいと思っていた」
「なんの? って、ああ。あの事件が発覚してから直接会ったのって初めてか。いいけど、リーグに提供した話で全部だよ」
「直接君から話を聞きたかったのさ。悪いが、付き合ってくれ」
「いいよ、ワタルは面白半分じゃないって伝わってくるからね」
 事件について意見を求められることを、カンジュは心良くは思っていない。求められる情報の種類は分かっており、しかし提供出来る情報は不確かなものばかりだからだ。
 だが、友人が真剣に情報を欲しているのであれば、という情を持っていた。

 カンジュは霊能者だ。そしてこの世界には霊が居る、とされている。
 過去に世間を騒がせた事件、公にはされていないが、霊に取り憑かれて犯行に及んだ、という事例もあった。ただ、それを証明するのが難しい。除霊してしまえば霊は居なくなってしまい、状況証拠しか残らない。
 そういった事情があるので、昨今の警察は霊能者や超能力者と協力し、多角的に調査を進める。しかしそれらは公にはされない。霊能力や超能力は、科学と違って信頼を得ていない。サイコメトリーや予知などで得た情報を正しいと証明するのは難しく、事件の全てを明らかにした後に"その情報が正しかった"ことが漸(ようや)く判明するのもよくあることだった。
 なので、それらの能力で得られた情報は"参考程度に留める"というのが現状だった。

「霊能者の間じゃ、怪しいんじゃないかって話は出てる。けど犯人を実際に霊視した人からの情報はない。警察関係の霊能者なら視てるだろうけど、その情報がまだ出回ってないんだよね」
 憑かれていた可能性はある、そんな曖昧な言葉にワタルはしばし考え込んでから、控えめな声量でぽつりと問いかけた。
「……マツバはなんて言ってた?」
「口の硬さを信用して言うけど、オフレコで頼むよ。つっても大した情報ないんだけどさ。視えなかったって、なんも」
 マツバは霊を視ることができるが、今回は何も視えなかった。とはいえ、テレビ越しに犯人の映像を"視た"だけなので、霊が存在しなかったという確かな証明にはならない。
「君も視てないんだったな」
「うん」
「未来視は?」
「してないって。必要なものがないからね」
 マツバの未来視は条件に依って精度が変わるので、条件が揃っていない時は視ない。なぜなら、未来が良いものばかりとは限らないからだ。悲惨な未来を視てしまって体調を崩すこともあるのだから、使用のタイミングは慎重に選ばねばならない。
「俺らの出る幕じゃないってことだろ。特に気付いたこともないしな。今は警察に任せるしかない。悔しいと思うけど、耐えろよ」
「わかっているさ」
 今回の事件、正義感の強いワタルは人一倍憤(いきどお)っていた。

 どこに行ってもポケモンが存在するこの国では、現在、子供の内にポケモンと旅に出るのが推奨されている。ポケモンを旅を通じて成長させ、同時に自身も野生のポケモンへの対処方を実地で学ぶ。
 勿論(もちろん)、ポケモンと旅に出ない人も居るし、昔は特に女子供は旅などしないのが普通だった。しかし近年はトレーナーがブームになって、老若男女関係なく、多くの人が旅立つようになった。旅に出られる年齢も少しづつ引き下げられ、今では十歳以上で学業や職業の免除申請が受理されたら、誰もが旅に出られる。
 今年は特に旅立ち予定のトレーナーが多い。リーグが新しくなったためだ。
 以前は何百人の中から勝ち残らなければいけなかった勝ち抜き性のトーナメントが、四天王と呼ばれるたった四人を勝ち抜けばいいだけになった。それは人々に夢を与えた。
 四天王の情報が出回ればそれを研究し弱点をついて簡単にチャンピオンになれるかもしれない、四人だけなら勝てるかもしれない、最強を名乗る四天王と戦ってみたい。様々な思いを胸に、子供も大人も旅に出ようとしている。

 そんな矢先に起こった衝撃的な事件だったが、人々は旅を中止にはしない。なにせ犯人は逮捕されて、もう害はないはずなのだから。勿論(もちろん)旅立つ人数は予定より減るだろうが、それでも例年より多いと予測されている。
 しかし、もし霊の影響で犯人が犯罪を犯したのなら?
 こんな状態で、犯人を犯罪に走らせた霊が今も野放しにされていたら。
 もし、また残虐な犯罪に子供達が巻き込まれてしまったら。
 己の思考の海に潜って黙り込んだワタルに、カンジュは慰めにもならないと知りながら言葉を掛けた。
「俺らができるのは、目の届く範囲で守ること。リーグ四天王の俺らは他人より影響力があるんだからさ、旅立つ前の子供たちに警告を発することができる。霊うんぬんを抜きにしてでも、警告できれば十分だ。後は、全国に居る警察を信じるしかない。霊能者たちだって、何か異変があれば情報を回してくれる。……できる範囲で頑張ろう。な?」
「ああ……ああ」
 首肯(しゅこう)しながらも納得していない表情のワタルにカンジュは困ったように眉尻を下げて、背負い込みすぎるなよ、俺ら全員で頑張ろうぜ、と励ますように言った。