深い森を貫く、苔むした道。人間の隣りで、巨大な花がゆっさゆっさと揺れている。堅く踏みならされた土を踏みしめる太い足の持ち主はフシギバナだ。
 フシギバナは無表情に視線だけを揺れる木漏れ日に向けていた。鬱蒼とした木立は道にまで枝を張り出し、夏の日差しを遮って涼しい木陰のトンネルを作っている。そのトンネルを、夏らしくない涼やかな風が吹き抜けてゆく。

 森全体が揺れているのだろうか、ざあざあと鳴る梢の音は大きい。がさがさとひときわ大きな音をたてて草むらからミミロルが飛び出し、フシギバナは僅かに体を強ばらせた。濃い緑の香りと森のざわめきに小さなミミロルの気配は紛れていて、視界で捉えるまで気付けなかったために驚いたのだ。
「フシギバナ」
 名前を呼ばれる前から、人間が何を望んでいるかをフシギバナは知っていた。自分がフシギダネの頃からの付き合いだ、もう数え切れないほど繰り返してきたバトルの事で人間の希望を読み間違える事などない。
 ひと目でわかる力量差があるにも関わらず、果敢にも向かってきたミミロルの足元に鋭く蔓を叩き込んでやる。と、一転してミミロルは逃げ出した。フシギバナにしたら、あんなのは蔓の鞭でない。レベル差がありすぎてバトルにもならない。人間が手で軽く虫を払い除けるのと大差がない。
「ありがとー」
 笑顔で礼を言いながらフシギバナの巨体を撫でる人間の手の温もり。バトルにもならなかった時にはいつも軽い調子で礼を口にする。いつも通りのその体温も笑顔も言葉も心地良い。フシギバナの僅かに細められた目に、人間はいっそう嬉しそうにふふっと笑を交わしあった。
 いつの間にかやんでいた風がまた梢を揺らし始めた。さして大きく揺れている様子もないのにざあざあと周囲の音をかき消し、不安を煽るほどの音をたてている。フシギバナはそれとなく周囲を見回した。今度は、ミミロルのように見落としがないように。

 フシギバナの警戒など素知らぬ様子で、人間はじっとフシギバナを見つめた。
 重なり合った葉の合間から差し込む木漏れ日が、ゆらゆらと地上で揺れている。ゆったりと差し込むそれに、地面も樹木もフシギバナも染まっている。
「まるで、海の中にいるみたいね」
 海。その言葉でフシギバナの脳裏に、人間と共に見上げたいくつもの海が思い出された。地面でゆらゆらと揺れる木漏れ日は水面から差し込む光に、木々のざわめきはどこか潮騒に似ている。
 人間の腰、モンスターボールの中から覗いた海の中の世界は、生まれてこの方地上で生きてきたフシギバナにとって未知の世界だった。

 思い出に細めた目で人間を見つめる。その目は人間へ向けられていても、遠くを、懐かしいものを見るようだった。それが移ったかのように人間の目も、フシギバナを見つめながらも視線は懐かしそうに、そして穏やかに微笑んでいた。
「フシギダネの頃は、海、嫌いだったねえ」
 懐かしさをにじませた柔らかな笑顔で、人間はフシギバナの額を優しく撫でた。
 一番最初に海中へ潜った時、メノクラゲに掴まった少女が震えていたのをフシギバナは覚えている。少女より小さなフシギダネだった自分は、主人の怯えが伝播して同じように震えていた。捕まえたばかりで波乗りをさせられたメノクラゲはそんな事を気にかけず、ただひたすら最初に与えられた命令――波乗りをするために広い海原へと泳ぎだしていた。
「近いうちに海に行こうか。ドククラゲとウインディも連れて」
 煩いほどの葉擦れの中、フシギバナは目を笑っているように目を細めて、のっそりと人間に顔をすり寄せた。





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このフシギバナさんは臆病です。クリスマスの時のフシギバナさんと同じ個体です。臆病には全くみえないですね!
フシギダネの頃は人間の後ろで、人間の手に蔓を絡ませたり、足の間に挟まったりしてました。長く主人と旅をする内に強くなって、性格も変わっていたんじゃないかなーと考えております。