先ほどの発言を突っ込まれたくなくて、話をそらそうと俺はフィオレの話に食いついた。純粋に気になった部分もあったけれど、何より失言を追求されたくなかった。

「フィオレって、どんなとこです? こっちよりポケモンは人懐こい?」
「そうねえ、どの街でもヒワダみたいな感じかしら。もっと種類いるけど。街中に野良や野性の子が居て、人と一緒に暮らしてる。悪戯者がいたり、暴れん坊がいたり、問題は起こるけど、人間側もわかってるから平気。観光客は驚くけどね。こっちに来てちょっと分かった。そりゃ驚くでしょうね」
「ポケモンは簡単に人を傷付けられるから」
「良く知ってる。レンジャーは誰より野性のポケモンに近い場所にいるんだから」

 小気味よいくらいに言い切られたその言葉は、レンジャーと言う仕事への誇りに満ちているようだった。俺は心から関心してしまって反射的に「ポケモンが好きなんですね」と月並みな感想を言っていた。お姉さんは噴出して「当たり前じゃない」と躊躇無く肯定する。

「好きじゃなかったら、こんな危なくてきつい仕事選ばない。レンジャーって格好良いって思われがちだけど、華々しい活躍なんてほんの一部よ。それに常に危険が付き纏う。レンジャーはポケモン同士を戦わせるんじゃない。ポケモンに気持ちを伝えるために、自分とパートナーをかけて暴れるポケモンにも立ち向かう。ねえ、プラスル」
「るーっ」

 毅然とした物言いだった。自分の持てる力を尽くして遣り遂げていると言う自負があるのだろうと感じさせる。きっとレンジャーになる事を強く希望してなったのだろう。叶えた夢は憧れたものとは違う部分も多かっただろうけど、責任を持ってやり遂げているのだとわかる。それが彼女の、少々強気な性格に現れている気がした。経験に裏打ちされた自信があるから、真っ直ぐに前を向いて強気でいられる。
 そう思うのは、俺がそうだったからだ。俺も夢があった。服作りがしたくて、男の癖に縫い物なんてと馬鹿にされても諦めなかった。進学して、憧れていた店に就職した。そこでの勤務は服作りだけでなく接客もしなきゃいけなくて、ままならない事も多かったけど充実していた。最近ではやりたい事を任せてもらえるようにもなってきて、自信や誇りが根を張り力強く育ち始めていた。帰りたいと願う理由の一つだ。
 穏やかさを取り戻しかけていた気持ちが波立つ。それを悟られたくなくて、俺は努めて普通を装って、お姉さん達に対するコメントを口にした。

「プラスルもギャロップも、レンジャーの一員なんですね」
「もちろん」

 その即答で、子供の頃に夢を抱いたトレーナーの姿は、この世界ではレンジャーなのだと気付いた。ポケモンを助け、ポケモンから助けられる存在。アニメのサトシとピカチュウみたいな、種の壁を越える友情。
 トレーナーではどうしても主従関係が付き纏うと思う。だけどレンジャーとポケモンは対等なように思う。トレーナーでもポケモンと対等な仲間で居られる人もいるだろうけど、俺には無理だ。驕ってしまってそんな関係は築けない。いや、そもそも、俺は帰りたいのが第一で、関係で悩むなんて意味のない事だ……その、はずだったんだ。
 最初に線引きしなかった俺が悪い、今からでも割り切ってしまおう。帰ると決めていたのだから、他者に心を寄せるなんてしないでいい。いや、そんな事は出来ない。旅立つ前とは状況も考え方も変化した。知り合ってしまった人をひどい目にあわせたくない。俺を守って飛び出していくポケモンを知ってしまったら、簡単に切り捨てられない。
 お姉さんとギャロップに会って少しだけ逸れていた意識が、また落ち込みに向かう。

 ウバメでの一件があってから、旅立ってから生まれた考えと、旅立った目的で板ばさみになって、ずっと葛藤している。
 よくよく思い返せば、博士にモンスターボールの仕組みを聞いた時から頭の片隅にあった事だった。ポケモンが知能の低い動物だったなら気に病まなかっただろう。でも、チコリータは感情表現が豊かだし、イーブイも手持ちとして付き合う内に病院では見えなかった面が見えてきて、感情が良くわかる。メリープやピチューを見て、怯える心があるのも良く分かった。
 チコリータやイーブイにも恐怖心はあるだろうに、俺を守ろうと飛び出して行く。メリープは洞窟こそ嫌ってるけど、その原因を作った俺を嫌ったりはしてない。ピチューも、恐怖心を抱えたままでも、人間全体を怖がったり嫌ったりはしない。あんなに怯えていたのに、翌日コウキから来たメールではボールの外に出てコウキに甘えたと書いてあった。人間を一括りに考えず、個人個人で善し悪しに分かれているのが理解できる知能を持っている。
 そして、俺の手持ちは、落ち込んだ人間に寄り添うだけの優しさを持ってる。心を寄せてくれる。
 また葛藤の中へ沈みそうになった俺を引き戻したのはお姉さんだった。

「ねえ、今からでもレンジャーになるつもりはない?」
「……え?」
「こっちの地方は、今、事件が頻発してて危ない。だから、アルミアにあるレンジャースクールへ行ったらどうかしら。微力だけど、私も上や学校に掛け合ってあげるし」
「……なんで? 特別扱いみたいじゃないですか」
「まあ特別扱いだけど、貴方の置かれた状況を鑑みての措置よ。貴方は山で倒れてて、記憶が混乱してた。なにかの犯罪に巻き込まれたんじゃないかって、レンジャー側では思ってる。レンジャースクールへの勧誘は、いわば保護ね」
「ああ、そういえば、病院でもレンジャーが一番安泰だって。将来性の話だけじゃなかったんですね」
「そういう事。それに今の貴方、見てられない」
「すみません」
「謝ることじゃない。あんた、見かけによらず気が優しいよね」
「なにそれ、ひどいな」

 見かけが偉そうで怖いのは分かってるが、随分きっぱりと言ってくれる。笑いながら言葉の上でだけ責めれば、「全然そう聞こえない」と笑われた。

「真面目な話ね。貴方、街を移動するごとに厄介ごとに巻き込まれてるでしょ」
「認めたくなーい」
「認めたくなくても事実でしょ。――それで、ちょっと心が参ってるんじゃない?」

 お姉さんは流石に鋭かった。状況を知ってるからってのもあるんだろうけど、良く人の機微に気付けるなあ。
 そんな的外れな事を考える程、動揺した。指摘は図星で、でもトレーナーを辞めるかはまだ自分の考えを定められていない問題だったから。どう答えたらいいのか決めかねる。

「図星ね」
「情けない限りです」
「仕方ないじゃない、めったに無いでしょ、あんな次々と巻き込まれるなんて」
「そーですね」

 言いながら脳裏にはポケモン歴代の主人公が浮かんでいた。行く先々で色んなことに巻き込まれたり、首を突っ込んだり、そして最後はチャンピオン。波乱万丈だよな。って、俺も今現在波乱万丈か。

「乗り気じゃなさそうね」
「お姉さんの気遣いを無碍にしたいんじゃないですよ」
「わかってる。迷ってるんでしょ、心配で」
「そうです」
「ポケモンなら、スクールの近くに預けられる。卒業後、かならずレンジャーにならなきゃいけないわけでもない。合わないと思えば辞められる」
「いえ、そういう心配じゃなくて」
「そうなの?」
「はい」

 頷いてから誘導かと思った。なんとなく、理由を話す流れになっている。

「じゃあ、友達の事?」
「それは、俺が居ない方が平和でしょう」
「……なにか思い出したの?」
「え?」

 何の話だと思ったが、すぐに思い至った。俺の事情を知る人に俺は「なんらかの事件に巻き込まれ、ショックで記憶が混濁してる」と思われてる。たった今、俺が居ると平和に過ごせないみたいな事を言ったから、巻き込まれる原因があるんじゃないか、何か思い出したんじゃないかと考えたのだろう。

「違う違う。街移動するごとに巻き込まれてるから、俺呪われてるんじゃないかって。根拠はないんだけど」
「ああ、そういう事。呪われてるとしたら、効き目抜群ね。怖すぎよ」
「本当に。辞めて欲しいですよ。でもこんだけ呪えるなら、それだけで食っていけそう。エスパーが居るんだし、そういうのも可能なんじゃ?」
「ないない。エスパーも霊能力もそんな便利なもんじゃないって」
「そーなんですか?」
「当たり前じゃない。――話したくなかったらいいんだけど。話したら気分が楽になるって事、あるかもよ」
「それで解決するわけじゃない」
「そうね。でも、口に出して話すって、男が思うより重要よ。話すためには話を纏めようとするでしょ、そうすると考えてるだけでは気づかなかった事に気付いたり出来る。話せば他者の意見も取り入れられる。私はあんたの事情に多少明るいから、相談ものってあげやすいと思う」

 言われればそうだ。なんてつい流されそうになって、少し視線を落とした。お姉さんとは特に親しいわけじゃない。相談事を話すなんて間柄じゃない。いや、そもそも俺はこの世界に親しい人なんていないんだけど。
 だいたい、帰りたい、なんて言えない。全部全部無かったことに、リセットしてしまいたいなんて、馬鹿げてる。病院に居る時が何度も思った、俺は長い夢を見てるんじゃないか、なんて思考に囚われているとは言えない。――もし夢だとしても、こんなに生々しい感覚の中では必死に生きるしかないと思うけど。夢なら、早く覚めて欲しい、なんて。本当に馬鹿げてる。
 ぽん、と頭に手が乗せられて、軽く撫でられた。

「あ、の?」
「なんかさ、たまらなく辛そうで。一人で抱え込まない方がいいよ」
「やめてください、こんな外で、バカップルみたいで恥ずかしいでしょ。いてっ」

 慰めてくれた事には触れず撫でられた事を逆に揶揄えば、ばしんと背中を叩かれてちょっと痛かった。まず衝撃があって、次にじんとする感じで本当に痛い。遠慮が無いのか馬鹿力なのか。





「ばっか。制服着てんのよ、子供送ってるくらいにしか思われないっつうの」
「そうなんですか? こっちのレンジャーもその制服?」
「……違ったわ」
「じゃ、2ケツデートに見えるかもしれないですね。いやあ、照れちゃうな」
「ばっかじゃないの」

 心底呆れた風な声に笑いが漏れた。気安いと思う。年齢も、最近触れ合う機会の多い10歳そこそこの子供ではない分、話しやすい。というか、社会人として働いている相手だから、言葉にせずともどこか通ずるものがあるのかもしれない。

「気遣ってくれて有り難う」
「殊勝ねえ。改めて礼を言われることじゃないわ」
「本当に悩んでたから、ありがとう。自分できちんと答えを出すから、大丈夫です」

 宣言して、なんとなく俺はすっきりした。悩みは何も解決してないけど、悩んでばかりじゃ前には進めない。トレーナーを辞めるとかそういうのの前に、やる事がある。まずはアルバイトをしっかりしなきゃいけない。それでもう大丈夫だと態度で示す。いつまでも心配かけてられないからなあ。もちろんうじうじしてた事を謝るけど、口先だけにならないようにしないと。
 トレーナーに向いてるとか向いてないとか、チャンピオンを目指すとか、帰るとか、手持ちをどうするとか。そういうのはひとまず置いておこう。とにかく今は、今まで通りに強くなるのが目標だ。旅をやめるにしても、俺もポケモンもバトルが強くて困るなんて事はないだろう。
 そんで、ポケモンも友人も俺なりに大事にする。今までそうやってずっと生きてきたし、それで良いと思ってる。いや、違うな、そういう風な生き方しか出来ないと25年間で知ったんだった。その事を漸く思い出した。

「ふうん? 良くわかんないけど、そう決めたならいいの。でも、迷ったなら話くらい聞くし、レンジャー方面のことでは協力できるわ。頼ってくれていいよ」
「ありがとう。連絡先も知らないですけどね」
「せっかちね。携帯くらい持ってるっつーの。電波入らないとこにいる可能性高いけど、メールしたらいいでしょ」
「え、教えてくれんの」
「じゃなきゃ、言わないって」

 励ますための方便か、社交辞令かと思ったよ。