森の入り口には有人のゲートがある。この世界では森や街と街の間に有人のゲートが設置されている事が多く、その理由は街の外には多くのポケモンが潜んで危険なためだ。立ち入りを制限したり、何かあった時に町へ連絡する役割があるらしい。とは知っていたが、ヒワダに滞在してようやく実感が沸いた。
 野生のポケモンは人に危害を加える。人懐こく害意のないポケモンでも、仲間と遊ぶのと同じ感覚でじゃれついただけで、鋭い爪や牙は人の肌はおろか肉をも簡単に裂いてしまう。それに野生のポケモンは人に有害な毒や病原菌を持っている事もある。ガンテツの孫娘を見ていてわかったが、どんなにしっかりした子供でも体自体がまだまだ弱いのだから、野生のポケモンは危険だ。森に迷い込んでしまったらいけない。
 例外は街に慣れたポケモンだろう。人の脆さを知っていたり、人と触れ合わないように住み分けたり。すくなくとも小さい子供に捕まってしまわないような警戒心の強さや、ヤドンのように少々乱暴にされても暴れないのんびりしたポケモンでないと危ないだろう。ポケモンは動物よりずっと強い力を持っているのだから。

 虫除けのスプレー(ポケモン用じゃないやつ)をし、ゲートで貰ったウバメの森の地図を広げ、木々が作る天然のアーケードの一本道を辿って行く。コトネはバトルより探索や捕獲に夢中で、マリルと共に草むらをかき分け落ちている木の実や木の上に住むポケモンを探していた。中腰や見上げ続ける姿勢ばかりで首と腰は痛くならないのかね? と思ったが、そういや俺も子供の頃って肩こりとか感じたことなかった。
 わざとゆっくり歩って人が少なくなったのを見計らい、ピチューとイーブイも出す。連れ歩きキャンペーンのルール違反になるけど、ピチューは俺とだと緊張してしまう。それでヒビキやコトネに気を使わせたら、精神的に疲れてしまうだろう。2人もピチューも。だから自分の手持ちに、クッション役を担って貰う事にした。ルール違反は、まあ、ちょっと目を瞑って貰うってこって。
 ピチューは出るなりチコリータに駆け寄って、イーブイはその場でくあーっと大あくびをした。

「おはよう、ピチュー」

 ヒビキの声でピチューの存在に気付いたコトネが駆け寄ってきた「おはよー」と向日葵のような笑顔を向ける。……自分で言ってから思ったんだけど、向日葵って表現はコトネにぴったりだ。明るくて一生懸命で凄く元気。夏の入道雲が湧いた青空が似合う感じ。
 少々思考が逸れたが、俺を上目遣いで観察するように見上げるピチューの前にしゃがみ、笑顔で話しかける。

「今から森を探検するんだよ。ワカナとモチヅキも一緒だし、ほら、ヒビキくんとコトネちゃん、マリルにヒノノも一緒だ。みんなで散歩しような」
「ぶいー」

 イーブイが笑うように目を細めて、ピチューの顔を優しく舐める。それを受けながら、緊張した様子で俺を見つめるピチュー。見詰め合ってると、俺とピチューの間にチコリータが体を挟んで、俺を軽く睨んだ。あきらかに「ピチュー怖がらせてるんじゃないわよ」の意思表示だ。わかってるよと言う代わりに立ち上がる。少し距離を取ると、ピチューはどこかほっとしたようだった。ああ、わかってる、わかってるけど、お兄さんは寂しいです。
 なんでこんなに警戒されてるんだろうな、基本的に穏やかな態度を心がけているんだけど。時々大声あげるからかな? それともイーブイを叱ってるのが怖いとか? そんなのヒビキもコトネもやってるし、大声で言ったらガンテツのが怖いだろうに。やっぱわかんねーわ。

 気を取り直して歩き出して少し、森が深くなり始めて俺は景色に圧倒された。樹齢何百年かわからないような太い幹の木々は背が高く、枝ぶりも立派だ。瑞々しく茂った葉が涼しい木陰を作っている。葉が風にさわさわと揺れて、地面は木漏れ日がゆらゆらと揺れていた。緩やかに揺れる木漏れ日は、何故か水中に差し込む光と良く似ていて、不思議な光景を作っていた。神秘的と言うか、幻想的と言うか。とにかく、滅多にお目にかかれない大自然の中を進んでいく。
 草タイプのチコリータは溢れる緑が嬉しいのか、花の匂いを嗅いだり草むらでごろごろと転がったり、揺れる木漏れ日をじっと見つめたりと森を満喫しているようだった。イーブイとピチュー、加えてヒノアラシは虫や小さなヘビを追いかけ、小石を蹴って遊び、落ちている木の葉をつついては楽しそうに声を上げていた。
 時折見かける苔むした倒木にはキャタピーなんかが隠れていて、出会い頭に糸を吐かれてイーブイが逆毛を立てたのには思いっきり笑ってしまった。上からムカデが降って来て帽子に乗っかった時には鳥肌が立って思わず呻いた。足の長い蜂が出てきてそれをイーブイが捕まえようとした時は大いに焦った。

 石畳もなにもない道だけど、連日トレーナーたちが踏みしめているせいか固い土が露出している。前回歩った洞窟と比べて、水気で滑らないぶんずっと歩きやすい。けれど臭いが気になった。今までの道中もそこかしこで緑の匂いや水の匂いを感じていたが、森の中はむせ返りそうになるほどの緑の匂いが濃い。いや、もしかしたら豊かな森を支えている腐葉土の臭いだろうか? とにかく独特の匂いで溢れかえっているのが、慣れないせいか、良い香りとは言い難くて気になる。それでも清涼な風が梢を揺らすと、ざあざあと耳に心地よく、いい場所だと思えた。
 そんな中で時折キャタピーやビードル、トランセルにコクーンと、俺の感覚で言えば巨大化した虫たちと対峙する。それはまあ慣れて来たからいいんだけど、初めてパラスに遭遇した時、俺は咄嗟にある事を思い出し鳥肌を立ててしまった。

「逃げるぞ、ピチュー!」

 ピチューは にげられない!
 思わず脳内にお決まりのテロップが浮かぶ程、ピチューは見事に痺れ粉を食らった。慌ててボールに戻し、野性のポケモンとの戦闘から必ず逃げられる特性を持つイーブイへ命じる。

「行け、イーブイ、んで逃げるぞ!!」
「ぶうい!」
「なんでだよ!」

 来ると分かっていても痺れ粉は回避できなかったが、特性により見事逃げ切ったイーブイを抱き上げてそのまま全力逃走すると、間髪いれずヒビキから突っ込みが入った。なんでって、ちょっとパラスはなあ。

「そんな強かったっけ?」

 とか言いながらヒビキは図鑑を開く。もうパラス捕まえてんのか。

「レベル的には全然。技や特性はいやらしいけど、勝てるよ」
「じゃあなんで逃げたの?」
「だって思い出したんだ」
「うん?」

 麻痺直しを使って2匹を治し、再びピチューを出す。

「パラスの背中のキノコ、寄生植物でパラセクトになる頃には宿主を白目にしちゃうんだぜ……」
「えっ、うそだ!」
「まじまじ、機会があったら写真よーく見てみ。パラセクト白目むいてっから。しかもキノコがでかくなると、キノコが本体になるんだってよ」
「えええええ」

 ないとは思うけど、ピチューにキノコ生えたらいたらやだな、と思って俺は全力で逃げ出してしまったのだった。ないとは思うよ、でも寄生されちゃったら怖いじゃん。図鑑の説明うろ覚えだなあ、ああ、寄生の条件って書いてあったっけ? いや、この世界ゲームと違うとこあるし、万が一キノコ生えたら、俺は絶望するわ。パラセクトにはゲーム中お世話になったけども、怖いもんは怖い。

「こわっ! えー、うそだろ、そんな話聞いたことないよ、自分のポケモンが寄生されたら噂になるんじゃない?」
「あー、そうか。余計な心配だったかな」
「そうだよ」
「でもパラセクトが白目むいてるのはガチ」
「うそだ」
「嘘じゃないって。コガネ着いたら一緒に図書館行ってみる? 多分記述あるよ」
「え〜……」

 半信半疑ながらも「そこまで言うのならほんとなんだろうな」みたいな、複雑な表情をする。パラス以外にキノコが寄生するかは分からないけど、パラセクトがキノコの意思で動いてるのはガチだったはずだ。確か冬虫夏草が元ネタで、って元ネタがコレなら寄生するのは虫だけか。良かった、俺の手持ちが寄生される事はないな。
 そんな事を考えている俺の隣まで後退してきたヒビキは、ヒノアラシを持ち上げてくるくるとひっくり返していた。いやーんみたいな顔で困っているが、それでも抵抗せずされるがままになっている。こういう控えめなところが凄く可愛いと思うが、あまり戦闘向きっぽくは見えない。頼りなげ、と言うか。

「どうした?」
「うん……こないだ、パラスと戦っちゃったから大丈夫かなあって」
「たぶんだけど、虫ポケにしか寄生しないから平気だろ」
「ほんと?」
「詳しくは忘れたけど、たぶん。ってか、コトネちゃんに聞けば一発じゃなか?」
「それもそうだ」

 2人で話し込んでしまってすっかり忘れていたコトネを探す。が、見当たらない。

「コトネー?」
「コトネちゃーん、出てきてー」
「コトネやーい」
「コットネちゃーん、あーそーぼー」
「コットコトコトネー外ハネー」

 ああ、ヒビキもあのエクストリーム外ハネ気になってるんだ。とっても共感を覚えるなあ。
 なんど呼んでも出てこないんで、ヒビキがポケギアを取り出す。俺はしゃがみ、抑え気味の音量でポケモンたちに「コトネちゃんがどこに行ったか見てなかったか」と聞いてみる。全員が首を横に振った。

「コトネ? 今どこ?」
『〜〜〜』
「えー。それじゃわかんないよ」
『〜〜〜』
「いや、木の特徴言われてもわかんない。見分け付かないし」

 若干呆れた顔でやりとりするヒビキを横目に、俺は半笑いになった顔を俯いて隠した。今はこうしてヒビキが迷子を探しているわけだけど、実のところヒビキもコトネと変わらないレベルで方向音痴だ。ヒワダタウンで一緒に過ごした約一週間でそれは良く知ってる。
 あの2人が近所のコンビニに行った時、なかなか帰って来なくて電話した事がある。往復10分、買い物に少し時間かけても15〜20分くらいで帰って来れるはずなのに、50分近くかかったのだ。
 なんとか近くに居た人にポケセンまで案内してもらって帰ってきたと言う2人に、思わずどんな経路を辿っているのかと聞いた。したら、十字路で右に曲がってコンビニへ行ったのに、帰りも同じ十字路で右に曲がっているのだと言われて、俺は盛大に吹き出した。図解すると

  行き
 ┛ ┗
   → コンビニ
 ┓↑┏
元の場所

  帰り
 ┛↑┗
   ← コンビニ
 ┓ ┏ 
元の場所

 これだ。なんでだよ! ってつっこんだら2人して「右から来たんだから右に帰るんだよ」「ねー!」と仲良く返事してくれて、お兄さんは、お兄さんは、面白くて教えてやるのが勿体無くなった。天然って凄いよなあ、右からきて右に帰るって。言いたいことわからなくはないけど、反対方向行ってるっつうの。
 これが他人事だったなら面白がって自分で気付くまで放置したんだが、俺が迎えに行く羽目になるのが面倒で、図を描いて「右からきたら左に帰るんだよ」ときちんと教えてあげたのがおとといの話。これで改善されるかと思ったんだけど、直ぐには直らないようだ。

 しかし漏れ聞こえる会話からするに、迷子の原因は他にもある。ヒビキはどうかわからないけど、コトネは何かに夢中になると周りが目に入らないらしく、木の実やらなんやらを集める内にずんずん進んで行ってしまったようだ。しかも目印にならないようなものを目印として認識してる。
 褒められる所は、自分の迷子癖をわかっていて決して木々の中へ突っ込んで行かなかった事だろう。こんな広い森で迷子になったら、たぶん捜索隊が組織されるぞ。そしたらしばらくは旅に出して貰えなくなるだろう。

「だから、他に目印になりそうなものは?」
『〜〜〜』
「祠の近くっぽい? わかった。そこ動いちゃだめだよ」

 はいはい、待ってて。と呆れ顔でポケギアを切った。ヒビキは基本的に性格も話し方も穏やだが、コトネと話す時は普通の少年らしいと思う。少々乱暴で遠慮がない話し方をするのは、近しい関係にある証拠なんだろう。

「たぶん祠の近くにいるって、行こう。……あのさ、なんでにやにやしてるの?」
「え、にやにやしてる?」

 まじまじと俺を見つめて、うんと頷いたヒビキに「仲良き事は美しきかな」と言ったら複雑そうにされた。

「幼馴染だしね」
「いいね、仲良しで羨ましい」

 筆まめでもなければ社交性にも欠けていた子供時代、転校に伴って友達は全部変わってしまった。今更それを悲しいとは思わないけど、幼馴染の話をする人を見ると、せっかくの縁だったんだから大事にすれば良かった、と少しだけ後悔がよぎる。ただそれだけの懐古だったが、ヒビキがハッと顔色を変えて、その表情を見てそういや俺天涯孤独と思われてるんだった、と気付いた。あーっと、どうフォローすればいいんだ?

「あのね、僕、リョウくんの事友達だと思ってるよ」
「ありがとう。俺もだよ。でも、あんま気にしないで欲しい。羨ましいと言っても、そう深く考えての発言じゃなかったんだ」
「ん。気にしてないならいいんだ。でも、ずっと友達だから」

 自分の迂闊さを内心後悔しながら「大丈夫だ」と笑うと、この話題は早々に終らせてくれた。
 気遣ってくれたのに悪いけど、 ずっと友達だなんて言葉、俺は信じていない。人は変わっていくものだからだ。
 例えば学校に居る間は、クラスが違っても毎日会える。けれど社会人になれば、学校の付き合いに変わって会社の付き合いが始まる。仕事を頑張れば頑張る程、学生の頃の友達とは距離が開いてしまう事もある。そして成長して性格や考え方が変われば、友人でいるのが辛くなる事もある。それでも続いていく関係はあるけど、切れてしまう関係があるのも確かだ。つまり、ありきたりだけど、先の事はわからないって話だ。
 そういうのを差し置いても、俺はいつか元の世界に帰りたいと思っている。ヒビキの優しさは行き場を失うだろう。

 申し訳なくって、機会があれば居なくなる事を告げようか、と考えた。いきなりそんな話したら引かれるだろうから、まあ、帰れる目処がたったらとか、機を見てって感じにはなるだろうけど。
 何にせよ、ヒビキの幼い純粋さは眩しく、真っ直ぐさが好ましかった。無理だとわかっているけど、このまま真っ直ぐ育ってほしいと思ってしまう。
 大人になってしみじみ思うけど、子供の純粋さってのは希望だよな。疲れた時に見かけると、綺麗なものもあるんだな、と、なんて言うか、感慨深く感じる。二度と自分は持てないから、余計にそう感じるのだろう。……じじ臭くなったな、俺。

 しんみりした空気にならないよう軽い雑談に始終し、ポケモン雑学を話したり、普通のクワガタみつけて木から蹴り落としたらホーホーまで落ちてきて大慌てで戦闘に入ったり、ヒビキが連れ歩くポケモンをポッポに変えたら大喜びで虫を食べ始めてちょいグロテスクな光景を見てしまって無言になったりしつつも順調進んだ。
 そんなこんなで戦闘を何度かこなした後。

「ぴぃ……」
「!」
「あ……」

 疲れたのかピチューが、立ち止まった俺の足にそっと寄りかかってきたのだ。言葉もなく喜んでいると、ヒビキが抑えた声で「よかったね」と笑った。本当に嬉しいよ、今すぐピチューにキスしてやりたいぐらいだ!
 でもいきなりそんなアグレッシヴな事したら逃げられてしまいそうなので、怯えさせないようゆっくりしゃがみ、ゆっくり手を伸ばした。そっと撫でると少し緊張した様子だったけど、撫で続ける内に気持ちよさそうな顔をしてくれたので、抱き上げて……嫌がられた。残念だが抱き上げるのを許すほどには信用を勝ち得ていないらしい。いや、十分進歩したんだから高望みってもんか。





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ズッ友だョ(はぁと)