人間、失格

今日は時間があるので、私の大好きな太宰治さんの人間失格という本についてブログを書いてみる。
本当はずっと書きたいと思ってたんだけど、仕事以外で椅子に座るのが億劫でやれてなかった(笑)

まず人間失格の好きなところは読みやすいところ!
短いし、現代語しかわからなくても読めるのでとっかかりやすい。
あとは主人公の気持ちが分からな過ぎて理解したくなって読み進められるところ。
繰り返し読んでも、いまだに全然理解できてないけど

今回は好きな文章とかも引用して書いてみるね。

自分は停車場のブリッジを、(中略)ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。(中略)自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

まずここが自分には想像もつかなかった発想でワクワクした。
こんな風に思いついたらもっと世界は楽しく、キラキラするんじゃないか?と少し羨ましく思った
でも最後はしっかり「にわかに興が覚めました。」で落ちてて『これだよこれこれ!』ってなりました。
そのあとの地下鉄道の話も同じ理由で好きです。

直後の
自分は、空腹という事を知りませんでした。という話は
自分もすごく共感できるところがあるので好きだと思った。
こんな文豪に共感なんて畏れ多すぎるけど、自分の体調不良に気づかなかったり
胃もたれの感覚を知らなかったり、空腹に気づくのが遅かったりだとか。
そういうことが 人の普通 から外れてるってすごく不安だったから
文豪と少し似たところがあるかも!と勘違いできるだけですごく心が軽くなった思い出。

おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。
この一文の緊迫感はすさまじいなとすごく印象に残った。
この感覚を実際に味わわなきゃ書けないでしょ…学の無い私でもわかる一文なのに
こんなに感情を的確に表す一文が書ける表現力と語彙力と人生経験の多さに脱帽するしかできない。

父にお土産は何がいい?と聞かれ、「父は自分に獅子舞のおもちゃを買い与えたいのだ」と察し、
手帳に獅子舞と書く時の心境がもう、理解できるようでしきれないのが良い。
人の意思を汲んで、その通り行動できなかったことにただならぬ恐怖を感じ
布団の中で震える葉蔵は愛おしい。その様が可愛らしく感じたとかそういうサイコなことではなく。
私の知っている軽い言葉でまとめるなら「健気」で「どうにかして救ってやりたくなる」という感じ。

自分は、これまでの生涯に於いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。
この一文を書いたとき、太宰治さんは。そう考えた瞬間の葉蔵は。
って考えると頭抱える〜ッ!なんだこれは
殺されること=幸福 の方程式が出来上がっている...これだよこれ!
こういうのが読みたかった。人を殺したいと考えている人間や人に乱暴をする人間が
世の中に溢れていると感じる(個人的にね)この時代にこの言葉は"""効く"""のだ。