ゴルハムさんが余命宣告を受けて、約1ヶ月が立ちました。
ゴルハムさんは何とか今も頑張ってくれています。
このまま、誕生日が迎えられるかもしれない。
2歳をお祝いできるかもしれない期待が出てきています。
この1ヶ月のことを、書いておきたいと思います。
2016年6月22日
肝臓の腫瘍によって胆汁が体内に漏れだしていることによる、腹水の診断。
手術はもう難しく、あと1ヶ月くらいだろうと余命宣告を受けてから、最初の1週間は毎日泣いていました。
すでに子宮水腫で子宮を摘出しているゴルハムさんは、もう子宮の病気にかかることはないし、これからは寿命まで元気に生きてくれるものだと、私は思い込んでいました。
手術が出来ない、助からない病なんて想像もしていなかった。
もっと早くに気づいていたら、いや、餌が原因かもしれない、飼い方かもしれない、私がもっときちんとしていれば、こんなことにはならなかったのかもしれないと後悔しかありませんでした。
そんな中でも、ゴルハムさんは本当に懸命に生きていて、私が手渡しで与える餌は必ず口に運んでくれたし、まるで私に心配をかけないように、膨らんだお腹を引き摺るようにして立ち上がり、散歩をねだる仕草をしてくれた時、
あまりに健気でそして嬉しくて、ゴルハムさんを手のひらに乗せたまま、私はうずくまってまた泣きました。
ハムスターの知能は高くないと言われています。
犬や猫と比べ、その知能は3分の1程度で、ほとんど本能で生きている動物だとも。
けれど、実際こうして飼ってみると、すべて理解した上で行動してるんじゃないかと思う時があります。
ゴルハムさんは、私がペットショップで選んだ子ですが、この子も、あの時、私に飼われることを選んでくれたんじゃないか。
ただの親バカかもしれませんが、本当にそう思うのです。
余命宣告を受けて、2週間目は、今できることをとにかく何でもやろうという気持ちになりました。
ハムスターが好んで食べると言われる野草を取りに行ったり、利尿作用のある野草を調べたり、手作りで餌を作ってみたりしました。
身体の擦れを少しでも減らすように巣材を多目に入れたり、トイレも上がりやすいように高さが低いものを新調しました。
それと同時に、埋葬に向けての準備も進めました。
そういう準備をすることが、まるで死ぬのを待ってるかのように感じられて、最初は抵抗があったのですが、ゴルハムさんが死んでしまってからだと、きっと悲しくてそれどころではなく、きちんと天国へ送り出してあげることが出来ないんじゃないか、それは精一杯生きたゴルハムさんにあまりに失礼だと考え直し、ゴルハムさんを入れる紙製の箱や好物を、少しずつ揃えていきました。
宣告を受けて、3週間目は、ようやく気持ちが凪いできました。
「何かを口にしてくれているうちはまだ大丈夫」という安心は、「何も口にしなくなるとそこからは早い」という不安と隣り合わせでしたが、
それでも、少しでも何かを口に運んでいる姿さえ見ることができたら、「仕事から帰ってきたら、もう息をしていなかったらどうしよう」という心配を無理やり押し込めることができました。
腹水は、内蔵に溜まった体液が、胃や肺を少しずつ圧迫していきます。
最初は食欲がなくなり、次に肺に体液が浸入することで呼吸が困難になっていくそうです。
ゴルハムさんのお腹は、もう以前の倍ほどに膨れあがっていました。
苦しそうに上下する小さな身体が、ふと静かに落ち着くと、まさかもう呼吸をしていないんじゃないかと、幾度とケージを開けて、中を確かめてしまう私に、
その度、めんどくさそうに、それでも律儀に、目が半開きの眠そうな顔をあげてくれました。
7月7日七夕の夜、あいにくの曇り空で天の川は見えませんでしたが、ゴルハムさんが散歩をねだってくれたので、久しぶりに家の外に出てみました。
夜中の2時、家の前の道路に降ろしてみると、塀に沿うようにグングン歩いていくゴルハムさんの足取りは力強く、本当に余命があと僅かなのか、信じられないくらいでした。
あまりにはしゃいで、顔からゴッと下に落ちていってしまい、慌てて家に戻り、触診する始末。
もしかして持ち直してくれるのではないか、そんな淡い期待が入り交じります。
4週間目、ゴルハムさんを触りたがる姪っ子に、「今、ご病気だから、治ったらまた遊んであげてね」と伝えると、「はやく げんきになってね」と書いた手紙をくれました。
ゴルハムさんのケージの上にその手紙を飾りながら、「治ったら」という言葉の重さに沈みそうになり、近いうちに、小さな姪っ子に死というものを伝えなければならない日が来ることを思いました。
いよいよ野菜も食べなくなり、小動物用ミルクを舐めるだけになりました。
たった5ccの、小さじ1杯のミルクが命を繋ぎ止める糧です。
骨折していても気付かず走り回れるほど、外傷による痛みには強いハムスターも、内臓の痛みは感じるように出来ていて、理由が分からない痛みはやはりストレスになるらしく、今までかじったことがない回し車にイライラと歯を立てることが多くなりました。
早く楽になってほしい、苦しんでほしくない。
少しでも長く生きてほしい、頑張ってほしい。
どちらも私の本心であり本音であり、果たしてどちらがゴルハムさんにとって最良の選択なのかわからず、今でも毎日気持ちはぐらぐらと揺らいでいます。
今日、5週目に入りました。
ゴルハムさんの上半身や顔は痩せてきているのに、お腹は裂けるのではないかと思うほど、左右に大きくなっています。
やっぱり腹水を抜いてもらったほうがいいんじゃないだろうか。
一度は決めた気持ちが揺れます。
腹水を注射器などで抜くことが、他の臓器を傷付けるかもしれないなどのリスクがあり、ハムスターの身体に負担とストレスをかけることは分かっていますが、身体のバランスを取ることさえ難しくなっている今の姿はあまりに痛々しく、良くならないにしても、体液を少しでも抜いて、動きやすくしてあげられないか。
ネットサイトなどで調べてみると、腹水を抜くことで身体が軽くなり少し元気になった子や、逆に容体を急変させた子などの様子が綴られていて、
何度も何度も考えて、母親に泣き言を吐いて、泣くだけ泣いて、ゴルハムさんの体力が残っている初期の段階で早期判断すべきだったと後悔しました。
腹水は抜かない。
ギリギリの体力をこれ以上奪いたくない。
何かをすることで、もし最悪の事態になったら、償いきれない。
これがゴルハムさんにとっての最善の方法なのかは分かりません。どちらが正解だったのかの答えが出ることもありません。
きっとこれからもこのことを思い返しては、ずっと自問自答していくのだろうと思います。
思い悩んだこの1ヶ月、けれど、もし何の前兆もなく突然ゴルハムさんが死んでしまっていたら、私はきっと今以上にショックを受け、到底立ち直れなかっただろうと思います。
少しずつ別れを受け入れる準備をすることが出来る時間と、少しでも私の後悔が減るように、今、手を尽くせる時間を貰えたこと、その時間を作る為に頑張ってくれたゴルハムさんには感謝しかありません。
今も、ゴルハムさんは毛繕いを欠かしません。
トイレも不自由な身体を動かして、きちんと決められたところで用を足します。
ハムスターの本能といえばそれまでですが、その姿は、病に負けずに、丁寧に丁寧に1日を生きているようで、本当に格好いいです。
そんな姿を、ただ1日見て過ごしている飼い主のそれと、同じ24時間とは思えません。
ゴルハムさんが、その不自由な身体から旅立つ日まで、今しばらく、そばにいさせてもらいます。